2011年4月23日土曜日

傲慢のマーマレード、一

傲慢のマーマレード 



~すべてのことが可能だと思っている年頃は高慢で不遜であるほうが似つかわしい~

塩野七生 「男たちへ」より抜粋



一.

アイラブ、先進国。アイアム、先進国人。日本という国は素晴らしい。おおよそ全ての国籍の料理が食える国、日本。しかもその殆どは首都である東京に集まっていて、お偉い様が調べた所によるとなんと192カ国ものの外国籍のレストランが、2万742軒もひしめき合っているというから、たぶん俺達が渋谷の街を歩く時美男美女とすれ違うくらいの確立でそれらがある感じではないのだろうか。美男美女とはそんなに多いのか、不細工で悪かったなと憤慨立腹する御仁もいるのかも知れないが、事実美男美女には様々な系統趣味が存在して、イケメンといっても多種多様である訳だし、あいつはソース顔だとか、醤油顔だとか、最近だと塩顔なんてものもあるらしい。腐ってもグルメ評論家である俺は、担当しているラジオ番組で、醤油顔といってしまったら木村拓哉も板尾創路もおんなじジャンルだよね、と云ったのだが、何故だかそれぞれのファンから苦情が来て番組スタッフには大層な迷惑をかけた。俺は現在”大河内芳乃”という名前でグルメ評論家をしていて、テレビ、雑誌、ラジオ等にちょこちょこ出させて頂いている。そもそも俺はちょっと名の知れたレストランのオーナーであり、と云う事はつまりしっかりと料理の専門学校に行き店に弟子入りをし鍛錬に鍛錬を重ね切磋琢磨してきたと云う過程が存在することを意味する。レストランのオーナーをやっているだけでも、ひとり身の俺にとっては充分過ぎる程の金が入ってくるのだが、マスコミ系の仕事と云うのは、テレビ番組では目の前に出されたファミレスの泥団子のようなハンバーグを食って、うまいうまい、これは素材がどうで味付けがどうでということを、如何にも専門家らしく朗々と語っていれば金が貰える。雑誌なんて質問に答えるだけだ、食に対する意識がどうとか、美味しければそれでいいと思う。ラジオは少しやっかいで、主婦から寄せられる質問疑問が非常に抽象的で、例えば”てんぷらがうまく揚がりません、どうしたらお店のような美味しいてんぷらが作れますか”なんて聞かれてしまった時には

「今から料理専門の戸を叩き血と汗滲む努力をしていただいてそれからどこぞこの懐石料理店に弟子入りすべきですね、大体てんぷらの揚げをやらせてもらえるまでは10年かかります、それまでにしっかりと師匠の作業を目で覚え耳で覚え、師匠の技を体得してゆくのです。」

とは云えないので、油の温度を高くして、それから、なんて事を云ってお茶を濁している。そんなこんなで稼いでいった金は、同じくグルメ評論家だったり一般人でもグルメとして名を馳せている二人との酒飲みに総て消えていく。確かに、俺達三人は名の通った”グルメ”らしいが、云ってしまえば普通の人間であるわけで、普通のレストランやチェーン店でも入ったからには別に文句を云わないし、酒が入っていればだいたい料理の味は関係ない、酔ってる時は濃けりゃ何でも、まあ、美味いんだ。以前皆でキャバクラに行った時、俺は腹が減ったのでスパゲッティを頼んで、何も云わずにずるずるとむさぼり食っていたら、頼んでもいないし料金も変わっていないのに女の子が一人増えて店を出てから三人大笑いした事がある。調理人が凄まじく引け目を感じたのだろう。確かにまあ、印象に残る味ではなかったけど、別にそんな不味いわけでもなかったのになあ、味も濃かった。そんな俺達でも、矢張りグルメ評論家と銘打っているだけあって、極上に美味い店や、珍しい料理というのがあると電光石火、誰かが聞きつけてその、本当に知られていない謎の店、謎の料理を手分け草分けして必死に探すのだ。前回は創作エジプト&ジャパニーズ料理”二つの国”と云う、調理人だかオーナーだかの意図がわからない店だったが千駄ヶ谷の看板も立っていない地下に長く降りる階段の下にピラミッドらしきものが書かれた扉があって、あの時は確か青島が見つけた。看板も出さずに常連身内だけを呼んでひっそりやっているマニアックな店を見つけるのは、たいてい青島で、多分一般人グルメと俺達銀の園のグルメとの違いはそういった嗅覚が後者には存在していないのだろうと思う。さて、今回話を持ってきたのはその青島で、青島が云うに、千葉県のどこかに隠れた名店、というかまたそういうマニアックな店があって、そこの名物というのが”傲慢のマーマレード”だと云うのだ。
「簡単に云っちまえばジャムじゃないか、パンのほうを名物にした方が良かったんじゃないのかな、傲慢のパン、うちじゃないか、はは」
フレンチをやっている北川の店はあの、コースに出てくるパンが美味いことが有名で、こんな感じにパンの事ばかり自慢しているので、俺はそれはちょっと違うんじゃないか知らんと思う。メインの腕をしっかり上げろよ。まあ僕の店も最近前菜が美味しくないと云われているので近い内に味を確かめなければならん。青島が自慢をよそに口を開く。
「それがさ、どうも今回のは燕の生んだ子安貝を手に入れるってくらい、無理難題なんだよ、この店を見つけるのは、傲慢のマーマレードを拝むのは。どうもおかしい。一度バーで飲んだ事のある奴がこの名前を口にしたんだ。その店のルールは三つ。一、店の名前を云ってはならない。二、友人を連れてきてはいけない。この店で友人になった人とは一緒に来てもよい。三、傲慢のマーマレードという言葉以外の情報を知らざるに教えない。」
微妙に一と三の内容が被っている気がしてならないが、こんなことを気にしていると偏屈になってしまうからやめておく。成程、じゃあ俺達が探したとしても、三人がそれぞれ見つけないといけないってわけだな。しかし、言葉以外の情報を口にしてはならないっていうのは、アレだね、その、きっとジャム系の食べ物でなくて、それに見立てた何かかな。オレンジ色の液状であろうことは脳裏に浮かんでいるし、味もだいたい想像がつく。つまり疑問とするところは、”傲慢”。”傲慢のマーマレード”、もう、俺は、七つの大罪にも値する”傲慢”!背徳溢れるであろうその妙味、想像でしかないそれを、口の中で噛み締めていた。


つづく