2011年4月15日金曜日

茅ヶ崎の海女

友人の紹介文をふざけて書いた。




茅ヶ崎の女ほど怖い女はいない。
そもそも茅ヶ崎というのは世間一般的には夏の海が盛んにメディアでは取り上げられているが、長い間語り継がれている「海女」の傳説はその波に飲まれて姿を滅多に現さない。滅多に、というのはやはり数年に一度海女を目撃したという人間が現れるからで、大抵そういった場合は頓狂な事を云っている気の狂った人間として片付けられてしまうのだが、数人の学生グループでその傳説を確かめようとするものらがいて、後者が海女を目撃してしまうと、一度火がついてしまった噂はとどまる事を知らずに駆け抜けて伝わっていってしまうので、海の家の関係者どもは頭をうならせているのであった。というのも彼らはその怪奇の分けを知っているのである。昔ある女が、茅ヶ崎の海で男に遊ばれて、子供が出来てしまい、子供を連れて男の元へ向かうと、その男というのが絵に描いたような糞男で、もう次の女と暮らしていたのだった。悲嘆した女は茅ヶ崎の海へ、子供を連れて厭世心中したのである。大体目撃した人間が話すには子供を抱いた女が海の浅いところに立っているというので、矢張り彼女に違いないとして、供養を行う事にして、お寺さんの坊主を呼んだ。坊主が草木も眠る丑三つ時に海へと向かうと、そこには女が矢張り、子供を抱いて立っていた。


「どうしてそんな所へ立っているのかね、君」
坊主が恐る恐る話しかけると、女は手を坊主のほうへ向けた。子供がいた。
そうだ、この女は子供を育てて欲しいのだ。なんだ、死なずに自分で育てれば良かったではないか、全く、女というのはこれだから理解が出来ない、と坊主は呆れながらに子供を預かると、女はすっと消えていった。その赤ん坊が成長すると、髪の毛が見る見るうちに長くなり、その出でたちまるで海に生える藻草のようであった為に、

な も
海 藻 と名づけられたのであった。
なもは、母の悲しみをなにとも云われぬ何かから、おそらくそれは海であろうが、感じ取り、全ての男に復讐を果たす為に、生きるのであった。 数々の男に抱かれ、夜伽が終わるとその長い髪の毛を男の体に巻き付かせて、締め付けて、殺す。死体は深夜、茅ヶ崎の砂浜で焼いていたので、不審に思った近隣住民が通報し、事件は発覚した。海女騒動が無くなったかわりに、殺人事件なんて起きてしまったら海の家なんてのはたまらない、貧乏生活を強いられ、あげくの果てには飯が食えなくなってしまう。原因はわかっている、あの女の子供だ。そもそも海女の子供なんて受け取った坊主が悪い。俺達は俺達がわからないものは嫌う!今こそあの女を殺すのだ、このままじゃ茅ヶ崎は滅茶苦茶、奴が死ぬまで安心できない!茅ヶ崎の住民達はその手におのおのの武器を持ちなもを殺しに彼女の家に向かう。寺の坊主がそれを必死にとめるが、少しもしないうちに払いのけられる。ドアを開ける。彼女がいる。髪の毛は部屋に収まりきらない程伸び、不気味な黒光りを放つ。このなんだかわからない悪鬼を倒さねば、茅ヶ崎に未来なぞないのだ。襲い掛かろうとしたその瞬間、なもは消えた。部屋中が暗かったのは髪の毛であり、全く明るくなってしまった部屋の中に、男が一人、おそらく最後の犠牲者であろう男が倒れていた。なもの、凛々しい鼻と、大きな目が思い出されるくらい、その男の鼻と目はなもに似ていたからだ。