2011年4月23日土曜日

傲慢のマーマレード、一

傲慢のマーマレード 



~すべてのことが可能だと思っている年頃は高慢で不遜であるほうが似つかわしい~

塩野七生 「男たちへ」より抜粋



一.

アイラブ、先進国。アイアム、先進国人。日本という国は素晴らしい。おおよそ全ての国籍の料理が食える国、日本。しかもその殆どは首都である東京に集まっていて、お偉い様が調べた所によるとなんと192カ国ものの外国籍のレストランが、2万742軒もひしめき合っているというから、たぶん俺達が渋谷の街を歩く時美男美女とすれ違うくらいの確立でそれらがある感じではないのだろうか。美男美女とはそんなに多いのか、不細工で悪かったなと憤慨立腹する御仁もいるのかも知れないが、事実美男美女には様々な系統趣味が存在して、イケメンといっても多種多様である訳だし、あいつはソース顔だとか、醤油顔だとか、最近だと塩顔なんてものもあるらしい。腐ってもグルメ評論家である俺は、担当しているラジオ番組で、醤油顔といってしまったら木村拓哉も板尾創路もおんなじジャンルだよね、と云ったのだが、何故だかそれぞれのファンから苦情が来て番組スタッフには大層な迷惑をかけた。俺は現在”大河内芳乃”という名前でグルメ評論家をしていて、テレビ、雑誌、ラジオ等にちょこちょこ出させて頂いている。そもそも俺はちょっと名の知れたレストランのオーナーであり、と云う事はつまりしっかりと料理の専門学校に行き店に弟子入りをし鍛錬に鍛錬を重ね切磋琢磨してきたと云う過程が存在することを意味する。レストランのオーナーをやっているだけでも、ひとり身の俺にとっては充分過ぎる程の金が入ってくるのだが、マスコミ系の仕事と云うのは、テレビ番組では目の前に出されたファミレスの泥団子のようなハンバーグを食って、うまいうまい、これは素材がどうで味付けがどうでということを、如何にも専門家らしく朗々と語っていれば金が貰える。雑誌なんて質問に答えるだけだ、食に対する意識がどうとか、美味しければそれでいいと思う。ラジオは少しやっかいで、主婦から寄せられる質問疑問が非常に抽象的で、例えば”てんぷらがうまく揚がりません、どうしたらお店のような美味しいてんぷらが作れますか”なんて聞かれてしまった時には

「今から料理専門の戸を叩き血と汗滲む努力をしていただいてそれからどこぞこの懐石料理店に弟子入りすべきですね、大体てんぷらの揚げをやらせてもらえるまでは10年かかります、それまでにしっかりと師匠の作業を目で覚え耳で覚え、師匠の技を体得してゆくのです。」

とは云えないので、油の温度を高くして、それから、なんて事を云ってお茶を濁している。そんなこんなで稼いでいった金は、同じくグルメ評論家だったり一般人でもグルメとして名を馳せている二人との酒飲みに総て消えていく。確かに、俺達三人は名の通った”グルメ”らしいが、云ってしまえば普通の人間であるわけで、普通のレストランやチェーン店でも入ったからには別に文句を云わないし、酒が入っていればだいたい料理の味は関係ない、酔ってる時は濃けりゃ何でも、まあ、美味いんだ。以前皆でキャバクラに行った時、俺は腹が減ったのでスパゲッティを頼んで、何も云わずにずるずるとむさぼり食っていたら、頼んでもいないし料金も変わっていないのに女の子が一人増えて店を出てから三人大笑いした事がある。調理人が凄まじく引け目を感じたのだろう。確かにまあ、印象に残る味ではなかったけど、別にそんな不味いわけでもなかったのになあ、味も濃かった。そんな俺達でも、矢張りグルメ評論家と銘打っているだけあって、極上に美味い店や、珍しい料理というのがあると電光石火、誰かが聞きつけてその、本当に知られていない謎の店、謎の料理を手分け草分けして必死に探すのだ。前回は創作エジプト&ジャパニーズ料理”二つの国”と云う、調理人だかオーナーだかの意図がわからない店だったが千駄ヶ谷の看板も立っていない地下に長く降りる階段の下にピラミッドらしきものが書かれた扉があって、あの時は確か青島が見つけた。看板も出さずに常連身内だけを呼んでひっそりやっているマニアックな店を見つけるのは、たいてい青島で、多分一般人グルメと俺達銀の園のグルメとの違いはそういった嗅覚が後者には存在していないのだろうと思う。さて、今回話を持ってきたのはその青島で、青島が云うに、千葉県のどこかに隠れた名店、というかまたそういうマニアックな店があって、そこの名物というのが”傲慢のマーマレード”だと云うのだ。
「簡単に云っちまえばジャムじゃないか、パンのほうを名物にした方が良かったんじゃないのかな、傲慢のパン、うちじゃないか、はは」
フレンチをやっている北川の店はあの、コースに出てくるパンが美味いことが有名で、こんな感じにパンの事ばかり自慢しているので、俺はそれはちょっと違うんじゃないか知らんと思う。メインの腕をしっかり上げろよ。まあ僕の店も最近前菜が美味しくないと云われているので近い内に味を確かめなければならん。青島が自慢をよそに口を開く。
「それがさ、どうも今回のは燕の生んだ子安貝を手に入れるってくらい、無理難題なんだよ、この店を見つけるのは、傲慢のマーマレードを拝むのは。どうもおかしい。一度バーで飲んだ事のある奴がこの名前を口にしたんだ。その店のルールは三つ。一、店の名前を云ってはならない。二、友人を連れてきてはいけない。この店で友人になった人とは一緒に来てもよい。三、傲慢のマーマレードという言葉以外の情報を知らざるに教えない。」
微妙に一と三の内容が被っている気がしてならないが、こんなことを気にしていると偏屈になってしまうからやめておく。成程、じゃあ俺達が探したとしても、三人がそれぞれ見つけないといけないってわけだな。しかし、言葉以外の情報を口にしてはならないっていうのは、アレだね、その、きっとジャム系の食べ物でなくて、それに見立てた何かかな。オレンジ色の液状であろうことは脳裏に浮かんでいるし、味もだいたい想像がつく。つまり疑問とするところは、”傲慢”。”傲慢のマーマレード”、もう、俺は、七つの大罪にも値する”傲慢”!背徳溢れるであろうその妙味、想像でしかないそれを、口の中で噛み締めていた。


つづく

2011年4月21日木曜日

備忘録 kyoko

kyoko 何か聞こえる
kyoko 外は雨かい
kyoko 誰か立ってる
kyoko 外は雨かい

通りでは腹を空かせたタクシーが
俺の小鳥を咥えて逃げる

ショウウィンドウに写る顔は愚かで暗い
右手の罪を左手が贖う
いつも いつまでも


kyoko 何か聞こえる
kyoko 外は雨かい
kyoko 誰か立ってる 
kyoko 外は雨かい

とどまることも生き急ぐ事も
疑う事も張り裂ける事も
今夜はいい 窓から放り出せ
明日の岸にたどり着くために
今夜は眠ろうぜ

kyoko 何か聞こえる
kyoko 外は雨かい
kyoko 誰か立ってる 
kyoko 外は雨かい

kyoko 何か聞こえる
kyoko 外は雨かい
kyoko 誰か立ってる 
kyoko 外は雨かい


kyoko 外は雨かい
kyoko 外は雨かい


さびG D
さびおわりC D G
BメロC D G E


非常事態

昨日の夜、母が祖母の家からウイスキーを3本程拝借してきたのだが、それを飲んだ。非常に高級で口当たりの良い酒だった。祖母は現在、母の姉二人のうちの真ん中の細江さんと二人で暮らしていて、自営業の工場をたたんでアパートにしてしまってからは一番上の姉の飲食店を手伝っているのだが、それが終わってから毎夜毎夜缶チューハイや缶ビールを開けては飲む、なかなかの酒好きである。と云うより仕事上がりのそれをたのしみにしているのだろうとは思うが、祖母と細江さんの御両かたともにウイスキーは飲まないのだ。それなのに何故そんな家にウイスキーがあるのかというと、祖母の夫、つまり僕の祖父にあたるが、その人がウイスキーが大好きで、亡くなられてからずっとそれをとっておいたのだという。ただでウイスキーが飲めるというのは僕にとってラッキーハッピー以外の何者でもないのだが、実は祖父が亡くなったのは僕が三歳かそこらの話であり、十六年も前の事である。仮にそれが山崎の十八年物だとしたら、三十四年と名前を訂正するべきである。ちなみに調べてみると酒の種類はオーシャングロリア。20年以上前の作品のようで、古い味がしたが、アマレットで割ってみたところ美味しくいただけた。ウイスキーとアマレットで割るとゴットファーザーというカクテルになる、これは「おまえ、これ以上強い酒があるか、こいつはカクテル界のゴッドファーザー、最強ったらありゃしねえよ」みたいなセンスでつけられた名前で、あの懐かしきテーマソングが耳から聞こえてくるようである。
こうやって酒を飲んだり、また最近は親戚からからすみを送って頂いたりして、美味いものや美味い酒があって酒池肉林、いや、酒湖肉森を楽しんでいたのだが、ふと鏡を見るとでぶがいた。ははあ、雲外鏡、だまそうったってそうはいかんよ、洗面台に向かい鏡を開ける、矢張りでぶがいる。まずい、これはまずい。太った。顔が太った。雲外鏡のせいにしてお詫び申し上げないといけないが、こんな顔でお詫びにいったら、雲外先生に、きさま、おれの顔を小馬鹿にしてそんな顔をしおって、くそぶっ殺してやる、とか云われかねない、まさに背水の陣。美しくなければ生きている意味がないと動く城の主も申していたように、生きるか死ぬか、それが問題だ。友人に相談すると、あはは、人間は外見がアレでも内面が美しければいいんだよと軽々しく云われたが、僕というのは厭世今生、自堕落不貞な人間で、外見はそこそこ美しいのを良いことに内面がアレなのを誤魔化してきたのだ。更に僕はこの春新しくバンドを組むのだが僕はボーカルで、人に迷惑を掛けるようなロックなんてものをやるので、ステージ上で「お前らみんなくたばっちまえ」とか「人間嫌い!いやだ!くそ!」なんてことを云おうとしている奴が(ちなみにバンドをやる理由はストレス発散)肥満この上ないとしたら観客に引きずり降ろされ市中引き回しの上晒し首になる事くらい俺でもわかる。明日てんきになあれ、なんて云うてる阿呆達は、晴れ、雨、くもり、どちらでもいいのかもしれないけれど、嗚呼、俺にとっては生きるか死ぬか、それとも痩せるかだ。
しかし地震と云うのが起こると普通に生きてる人たちも、やれパンクだ俺は30代くらいで死ぬんじゃとか云うてる人間達がどれ程生に執着しているかわかる。俺は地震や津波なんかでおっチンじまいたくない、死に様を選びたい、とか、そういうことを云うのだったら、車の前に飛び出していって「僕は死にませーん」とでもやっていればいい。それこそニュースになったであろう、六人の轢かれた赤ん坊共の為に命を交換してやったら宜しいのだ。僕がそう云うと自殺志願者のパンクスどもはいっせいに道路に飛び出し、やがて道路一面パンクスのかけらだらけとなって、子供達は息を吹き返したのだった。子供達は「パンク侍どもよ、きさまらの命しかと戴いた」とか云って葬式の途中で突如彼らは蘇りなんとこうわめいた!
「ファーストギグだ!てめえら、覚悟しな!」
慌てふためいた親族達が逃げる間もなく、ドラム担当らしい幼児は木魚でリズムを刻み始め、ベースは荒くれた音で響きはじめ、ギターはちゃらちゃらとパワーコードを鳴らし始めた。残った二人はおもむろにポケットからサングラスを取り出し髪の毛をすばやくポマードでリーゼントに変えた。二人は踊り出して、後ろの演奏が盛り上がり、急に音が止まる。沈黙が走る。沈黙を破るのはもちろんボーカルのリーゼント幼児、口を開いて出た言葉とは。
「また人間に生まれてきちまった。キャベツになりたかったなあ」

2011年4月20日水曜日

沖縄にいこう

地震がめったに来ない
宮城から一番遠い 沖縄へいこう
沖縄には原発もないし
ほうれんそうも食える 沖縄に住もう

さんごも フルーツもあるし
日本でいちばんきれいな県 沖縄へいこう
困るのは 台風と メリケンの基地くらい
めんそーれうちなー 沖縄に住もう


みんなで 沖縄にいこう
みんなで 沖縄に住もう
みんなで 沖縄にいこう
みんなで 沖縄に住もう

あいや いやささ あいやっ やっ やっ
あいや いやささ あいやっ やっ やっ












基地も原発も必要無くても僕たち幸せに暮らせますよー、今日は隣の奥さんから大根貰ろた、ラッキー、今日は大根の味噌汁にしようか知らん、おかえしにろうそく多めにあるからろうそくあげよか、原発無うなったから明かりがろうそくになったでしょ、あ、土曜日は町内みんな集めて湯豆腐やりましょうか、ポン酢以外は認めんぞ、こら、みたいな世界だったらいいなとは思いますけどね。




2011年4月18日月曜日

I hate Rock 'n' Roll

踊り回って舌出して
俳優気取ってつかまれて
動かされては言わされる
チェルシーはママのおっぱいの味ってな!

僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール

がなればだれれば得意になって
われてしまえばそれまでさ
あんたはもう古すぎる
さっさと消えろ糞ったれ

僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール


世界に数多の音楽あれど
ロックンロールはよう好かん


一重を二重に塗りつけて
化粧で女のふりをする
蜜いでもらって得をする
女好きのあほやないかお前ら

僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール

昔は本当のSTARだった
金にまみれて変わっちまった
今じゃ偽りだらけのFAKESTAR
星と王冠を空に捨てろ、くそ!

僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール
僕の嫌いなロックンロール

世界に数多の音楽あれど
ロックンロールはちと違う
ロックンロールは音楽じゃねぇ
なんかこうもっとうちから来るもんじゃ!ぼけ!


I hate Rock 'n' Roll !

遊楽

この所遊んでばかりいる、非常に宜しくない。遊ぶ時には必ず外へ出て、そうすると本は読まなくなるし、遊ぶというのは必ず酒を飲むので、金は減るしで、それが僕が遊ぶのを宜しく無いとする理由である。遊ぶのであれば、読みたい本が死ぬほどあるのでそちらをまず読破してからにしておきたい。岡倉天心の”茶の本”は6章最後の章を未だに読みきっていないし、藤野に借りた桜庭一樹の”砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない”なんて三ページしか読んでいない。三ページといったら、フランス料理で云えば前菜どころか、メニューの説明すらされていない状態に近しい。とかく冒頭だけしか読んでいなくて、でもそれでこいつはおもろい文章を書くな、と思ったから早いところ読んでしまいたい。こいつは桜庭一樹という名前をしているが女なんだよな、確か。女性が書く文章というのはまた男性とは違う退廃があるからおもろい。知らない人が書く新しい本というのは新しい出会いで、全く、だから、人と知り合うというのはおもろい。藤野に出会わなければ、知り合わなければ、桜庭一樹に出会うことも無かっただろうし、最近だと安部に会ったのは僕にとって大きなプラス、というか、今後千葉県で酒をあおる時は今よりずっとたのしくなるだろう。安部というのは近頃五十君が主催している恋活という如何にも胡散臭いイベントで知り置いた男で、千葉のバーで働いていると云うので場所を聞いたら市川だった。僕の地元の二駅くらい先だ。この前もうちに来て酒を飲みながら文学や音楽の話をひたすらした。こういうのがたのしくて人と出会うのだけれど、そうするとまた遊ぶ予定が増えてしまうから困ったものだ。最近酒に金を使いたくない、別に酒を飲みたくない訳では無くて、酒は何時でも何処でも飲みたいのだけれど、というのも飯に金を使いたくなってきたからで、また豚組のとんかつとか、ハイチカレー、ハイチコーヒーとか、焼肉とか焼き鳥とかを食べに行きたいからである。焼き鳥に関しては25日に糞女どもと中野でそれを食べる事になっているし、今まで一度も酒、飯すら食ったことのない後輩と今月中に行くことになっているので僕は非常にたのしみである。焼肉も行きたいな、僕はあの、たんすじというものが非常に好きで、普通のカルビとかそういう普通の肉はそこそこにたんすじを三皿程平らげるから同行者に偏食者を見る目つきで見られるが、以前申し上げたことのあるように僕は嫌いなもの等ほとんどない。これは食べ物に限らず、人というのも大抵の人が好きだし、酔っ払っていない限り誰かに対して憤怒、深夜の公園で立ち上がり顔を殴るということはしない。そうだ、飯も食ったし、これからは真面目に生きよう。酒も飲まず煙草も吸わずどうでもいいような女とのセックスを控え勉学に励み、毎日筋トレをして丈夫で健全に生きる。無理か。死んでお詫び申し上げたい。

嫌いではないけど

 僕は案外偏食でなくて、ピーマンさんでもにんじんさんでもなんでも食べられる。案外、と云うのは周りから言われるからそう云っているわけで、食わず嫌いもないし、食べたくないと思うのは下手食い奇食悪食ぐらいであって、何であろうと大抵の物はオッケー、日の丸である。男子というのは野菜が嫌いであるようなイメージが世間一般に知れ渡っているが、僕は大の野菜好きで温野菜といって鍋で野菜を蒸してマヨネーズやおポン酢をつけて食べるのが好きで、これが野菜本来の味を抜群に引き出してくれてなかなかいい。この温野菜に肩を並べるのがバーニャカウダーという料理で、アンチョビ、ニンニク、オリーブオイル等を混ぜ合わせたソースを熱したところに野菜を浸して食べる云わばフォンデュのような食べ物で、以前お付き合いしていた女性が僕の誕生日にイタリアンレストランカフェなる所に連れていってくれてそこで初めてこの料理を知った。いつか自分で作ってみようと思う。
と、僕の野菜好きを熱弁してみた所で何も始まらない、近頃女子供アマングヤングピーポーが云う”草食系男子”というカテゴリーは別段野菜を食べるからそう云うのではないし、そもそも僕は野菜は食べるが女性との付き合い惚れた腫れたに関しては驚く程がっついた所があって早稲田の石田純一と呼ばれてしまうのもそう遠くない未来である。靴下を今の内に脱いでおこかな。靴下は今まで存在していた表面をすっぽりと殺し、人格が変わったようになって飛んでいった、いきなり明朗快活、靴下の癖に。なんとなく窓を閉めると空気が変わってしまったみたいで不快。酒が飲みたいような飲みたくないような自分がよくわからない。毎日飲んでいる。別に酒を飲まなくてもいいのだけれど、飲んでもいいかという気持ち。己の中にもうひとつ人格があってぺろっと裏返すと変わってしまうような、そんな軽薄単純な人間です、僕は。屈した人間。そうか、僕は奴隷だった。毎日毎日朝の八時に起こされ鞭で叩かれて飯もろくに食わされず、隅田川の川原に三兆個に一個落ちていると云われる伝説の石「南無亞石」を探す作業をさせられている。僕はもうこんな巫山戯た事はやってられない、誰か、いないのか、連れ出してくれ、石を叩いて水を湧かし、宙を扇いで海を裂く、救いの手は差し伸べられないのかなあ、なんてことを考えていたらそこには一人の美少女がいて彼方という名前だという。魅せられるまま、惹かれるままについていったら喧騒な都会の町、ぬらぬらと犇めきあい、憎み、騙し、嘯き、殺し、悲嘆し、という見ているだけで悲しくなる人という生き物が億いる異世界へとついて来てしまった。ここで奴隷から抜け出した僕はもう働く必要はありませんが、やっとの思いで学校へ行き、人というもののやり切れなさを悲嘆しながら酒を飲んでいるわけで御座いますが、この世界の酒というのも女というのも中々の出来栄えで当面の間この世界から離れる心算は無いのです。

2011年4月15日金曜日

茅ヶ崎の海女

友人の紹介文をふざけて書いた。




茅ヶ崎の女ほど怖い女はいない。
そもそも茅ヶ崎というのは世間一般的には夏の海が盛んにメディアでは取り上げられているが、長い間語り継がれている「海女」の傳説はその波に飲まれて姿を滅多に現さない。滅多に、というのはやはり数年に一度海女を目撃したという人間が現れるからで、大抵そういった場合は頓狂な事を云っている気の狂った人間として片付けられてしまうのだが、数人の学生グループでその傳説を確かめようとするものらがいて、後者が海女を目撃してしまうと、一度火がついてしまった噂はとどまる事を知らずに駆け抜けて伝わっていってしまうので、海の家の関係者どもは頭をうならせているのであった。というのも彼らはその怪奇の分けを知っているのである。昔ある女が、茅ヶ崎の海で男に遊ばれて、子供が出来てしまい、子供を連れて男の元へ向かうと、その男というのが絵に描いたような糞男で、もう次の女と暮らしていたのだった。悲嘆した女は茅ヶ崎の海へ、子供を連れて厭世心中したのである。大体目撃した人間が話すには子供を抱いた女が海の浅いところに立っているというので、矢張り彼女に違いないとして、供養を行う事にして、お寺さんの坊主を呼んだ。坊主が草木も眠る丑三つ時に海へと向かうと、そこには女が矢張り、子供を抱いて立っていた。


「どうしてそんな所へ立っているのかね、君」
坊主が恐る恐る話しかけると、女は手を坊主のほうへ向けた。子供がいた。
そうだ、この女は子供を育てて欲しいのだ。なんだ、死なずに自分で育てれば良かったではないか、全く、女というのはこれだから理解が出来ない、と坊主は呆れながらに子供を預かると、女はすっと消えていった。その赤ん坊が成長すると、髪の毛が見る見るうちに長くなり、その出でたちまるで海に生える藻草のようであった為に、

な も
海 藻 と名づけられたのであった。
なもは、母の悲しみをなにとも云われぬ何かから、おそらくそれは海であろうが、感じ取り、全ての男に復讐を果たす為に、生きるのであった。 数々の男に抱かれ、夜伽が終わるとその長い髪の毛を男の体に巻き付かせて、締め付けて、殺す。死体は深夜、茅ヶ崎の砂浜で焼いていたので、不審に思った近隣住民が通報し、事件は発覚した。海女騒動が無くなったかわりに、殺人事件なんて起きてしまったら海の家なんてのはたまらない、貧乏生活を強いられ、あげくの果てには飯が食えなくなってしまう。原因はわかっている、あの女の子供だ。そもそも海女の子供なんて受け取った坊主が悪い。俺達は俺達がわからないものは嫌う!今こそあの女を殺すのだ、このままじゃ茅ヶ崎は滅茶苦茶、奴が死ぬまで安心できない!茅ヶ崎の住民達はその手におのおのの武器を持ちなもを殺しに彼女の家に向かう。寺の坊主がそれを必死にとめるが、少しもしないうちに払いのけられる。ドアを開ける。彼女がいる。髪の毛は部屋に収まりきらない程伸び、不気味な黒光りを放つ。このなんだかわからない悪鬼を倒さねば、茅ヶ崎に未来なぞないのだ。襲い掛かろうとしたその瞬間、なもは消えた。部屋中が暗かったのは髪の毛であり、全く明るくなってしまった部屋の中に、男が一人、おそらく最後の犠牲者であろう男が倒れていた。なもの、凛々しい鼻と、大きな目が思い出されるくらい、その男の鼻と目はなもに似ていたからだ。

2011年4月14日木曜日

誰かと誰かが
いてこその僕
いつでも抱腹絶倒
自虐的思考で
ねぎと肉をえりわける

だいたいいつもする事がない
だいたいいつもする事がない
だいたいいつもする事がない
だいたいいつも

狙わずして 嫌われる
鏡には 美男子
だけども四面楚歌
幼児退行
ねぎと肉をえりわける

だいたいいつもする事がない
だいたいいつもする事がない
だいたいいつもする事がない
だいたいいつもする人がいない

世界でいつもまんまるな点。
世界でいつもまんまるな点。
世界でいつもまんまるな点。
世界でいつもまんまるな点。

2011年4月12日火曜日

なんか飼いたい

 書店で猫の本を買った。猫の本と云うても、別段『ハウツー飼育、猫、初級、三毛猫編』とかいった実際に猫を飼う方向で話を進めていく本ではなくて、猫の持ち主が撮った写真を載せて「どうだ、俺の猫は可愛いだろう、見ろよ、飼えよ、ついでといってはこの本も買えよ」という自己顕示欲甚だしいやつで、ただそれでは本として活版印刷しそれに値打ちを付けて全国書店で売りさばくという民主主義的商売が成り立たぬので、その穴を埋めんとして「どうだ、これならお前らが金出して買ってもええかなと思えるようにしてやったぞ、どうや。」とでも云うように余すところ無くエッセイが詰められている。この本を呼んでいるとまるでちょうどその紙面あたりに作者のどや顔が見えてくるようで肝も沸き立つ程腹が立ってくる、くそ。それ程怒りを掻き立てる物を何故金出して買ったかというと、実を云うと別に怒っているわけではなくて自分がそいつのその本が読みたいからその本を購入したわけで、僕は単純に猫が好きで、飼えるものならたとい蟹工船で沖売りの女や北海道弁の年齢もわからぬ様なおっさん達と汗水血しぶき鼻水と目水とわからんようなものを飛ばして齷齪働いてそれでも二束三文、そこから生活費も出さねばならぬと、そんな金を稼がなければならないと言うことになったとしてもそれに殉ずる事ができると思う。こんな大口を叩けるのにも分けがあって、僕はどうしても猫を自宅に招き入れる事が出来ないのである。招かれぬ猫。下らん事を云っていると恥ずかしくて、今日の気分で云えば僕はクラブに行ってDJなる音楽を次々と回していくやつをやり、そこで南京玉簾でも流して一緒に踊りたい気分になるが、今現在書かなければならない胸裏心持ちがいくつかあるので、いまのところ控えさせて頂こかな。何の話だ、嗚呼、猫が飼えない理由というのは、簡潔に、アレルギー。僕は猫が大好きなのは先ほど記した通りだが、僕の体が猫を受け付けないのである。先天性猫嫌い。猫に関す同一性障害、腹立つ。これこそ肝が煮えくり返る事項である。しいては己身体市中引き回しの上晒し首としてやりたいところだが如何せん、今年頂いた年賀状に「何卒お体ご自愛下さい」と書かれていたのでどうすることも出来ない。
 犬は、と聞かれるのだがアレルギーは無い代わりに、僕は犬というものに対して愛情どころか、どこかへ行ってしまえ、畏怖軽侮の念しか持っておらず、というのは単純に云えば怖いわけで、なんだってあんなに激しく動き回ってきゃんきゃん云うのが可愛いだとかあいくるしいだとかいってちやほやされるのか皆目検討も付かない。そもそも諸君は街できゃんきゃんやっている髪を末期色にした女子高生や男子高生、おっさんおばさんにはまるで黒板引っかいてその上アルミホイル食わされたような顔をして耳を塞いで「けっ、うるせえんだよあほ」とか云う癖に対して変わらんあいつらにはまるで人が変わったように愛想を振りまくんだ?それに加えてあの犬というのは、まるでどんきーもんきーやんきーのような非常に強い攻撃性を持っていて、人と見れば足元を見て因縁をつけるかのように「あぁ?ワレ何俺様の通る道にのそっと突っ立っとるんじゃ、はよどかんかい、コラ、はよどかんかい!」と云ってぎゃんぎゃん喚く。そうしておソロしくて僕がどいたにも関わらず今度は「おい、コラ、どくの遅いんじゃ、なめんとんのかワレ、俺に喧嘩うっとんのか?うっとんのか、おい、どや、はっきり云うたらどうじゃ。はっきり云えや!」と云って執拗につけ回してくるものだから、僕は人様の家に遊びに来たのにも関わらず、トイレに篭ってやり過ごそうと席を立つのだが、そうするとまたトイレまでついてきて「おいコラなんとか云え!どつくぞ、どついたるぞ!おい、ボケ、なめとんのか、川崎の狂犬なめとんのか!」といってドアをどんどん叩くからもう精神的に参ってしまって家主におじゃましましたと云うことしかできなくなるのだ。すると家主が「なんでそんな怖がってんの、馬鹿じゃない。」といって川崎の狂犬を抱きかかえてくれるのだが、そうすると犬はまるで手のひらひっくり返して「やー、ご主人様、あいつがかまってくれないんですよ、こんなに可愛い僕チャンを」なんて僕言葉使い出すから腹立つのじゃ怖いのじゃあいつらはあああああああああ!
 というわけで猫も犬も飼えない。ただ僕は如何せん一人ぼっちというものが大嫌いな寂しがりやであるから、何かしら家に帰ってきた時に「おかえり、今日もお疲れ様。」と撫でた声で云ってくれるような友達が欲しい、女ならばなお良きかな。というわけで何か飼育して毎日家に帰る度に「おつかれ、今日のごはんちょうだい」と云ってくれるようにしたいのだが、僕は猫の他に、両生類爬虫類が大好きなのである。どれくらい好きかというと女に振られ雨に降られ金も無くて煙草も吸えないような夜にはインターネット上に乗っけられている、フトアゴヒゲトカゲがミールワームというそれ専用のミミズを食っている様子を撮影した動画、また、アオガエルがゲコゲコ云っている動画を見て、明日も頑張ろう、ヨッシャーと元気を出すくらい愛して病まない。思えば小学生の頃はヤドクガエルという黄色黒にまだらに色のついた如何にも、ワタシ毒がありますというような面持ちで魅かれる。それはいかにもちゃらちゃら遊んでそうな女が魅力的なのに近しいと僕は思う。また、カナヘビというトカゲに近しい金色の鱗を持ったトカゲが僕の以前住んでいた九州福岡鳥飼、大濠公園やら鳥飼小学校校庭やらにわんさかおったのだが、それを捕まえて国語の授業中それを弄じ繰り回し愛で倒しということをしょっちゅうやっていたが、残念な事に除虫罪を撒かれた草を噛んでころりと逝ってしまった。墓も作ったが、今となっては彼女の名前は忘れてしまった。ヘビも非常に好きで、一時期千葉の実家の庭に白蛇が住み着いた事があって、捕まえて弄じ繰り回し愛で倒してやろかなと思ったのだが、弁財天様の使いをそうやって拘束してしまうことでばち当たり、貧乏困窮に見舞われてしまう事を恐れてほうっておいたらそのうち何処かへ行ってしまわれた。それだから僕は今金が無いのかも知らん。いざ働かん。いざ働いて金作り、いざトカゲを飼わん。五月には埼玉自然公園へ出向いてアオガエルも数匹捕まえてくる予定です。ビバ両生類、ビバ爬虫類!

2011年4月11日月曜日

擦り硝子

見えていなければ存在しないも同然であるというのは強ち間違いではないが、存在しないというのは想像することが出来るという点で優秀である。義経はハーンになったかも知らんし、島津豊久は異世界にいったかもしらんし、僕の昔付き合っていた女はとっくのとうに死んでおるかも知らん。まあ義経がハーンになったり島津豊久が異世界にいったりなんていうのは厭くまで架空の産物であってそれは想像とはいえない。想像というのは、あるかもしれないし、かたやないかもしれないそのごぶごぶの線があるから掻き立てられるので、擦り硝子というのはそういう意味ではナイスなチョイスをしておる。ラブホテルに行くと、浴室が見えるようになってしまっているのがあるが、あれはなんというか、風情がないように思える。女が裸でシャワーを浴びているのがその仕草形でわかるのだけれど、果たしてその毛の一本まで見えぬという、そこに興奮するのであって、擦り硝子でない普通のだと、なんだか女の本当の価値ぐらいしか抱けないようで興ざめする。浴室もくっきり見えるなんていうのは、乱交でもする時に浴室とベッドで行為しているときに互いがおこのうているのが見える、という利点くらいしかない。女のことになってしまったが、女のことでなくても真実というのは見えないようで見える、見えるようで見えない、それくらいのがいい。とかく人間というのは冷静に物事を考えすぎなので、酒に酔っている時くらいのが物事を考えるには丁度いい。超同意。煙草も酒も薬も、人間が本能のみままに悦楽を感じることの出来るようにするツールである。そもそも神様とか聖書とか、酔っ払いだかラリった阿呆が書いてる怪文書、でもそれが此の世界で最も読まれている書物になるくらいのだから、皆酔っ払って葉っぱで頭を舞わしてる位が丁度いいのだ。ええじゃないか。平成の世の卯月の夜に皆でぐるぐるぐるぐるぐるぐ。ええじゃないか、ええじゃないかと皆で踊り、やれ、丁度外も暖かくなってきたことだし皆裸でセックスセックス。そもそも卯月というのは産まれるとか初めてとか、四月がそういう月であるということを表しておるので、ゴムも付けずに喜びのままにセックスに興じればいい。人類皆兄弟と申すじゃないか、色んなひととやったらええよ、美人、不細工、ちび、でぶ、じじい、ばばあ、女の子、男の子、小学生、幼稚園生、幼児、胎児、同性、黒人、白人、黄色、アメリカン、ユダヤ、アラブ、梅毒、クラミジア、エイズの女、白痴、痴呆、つんぼ、めくら、おし、うつけ、気狂い、胡瓜、茄子、人参、牛蒡、ありとあらゆる万物、神、そして、僕とか。皆兄弟になって、ともだちになって、平和。

2011年4月8日金曜日

大気中姦淫

 花粉。花粉が日々舞っていて平常の生活を全うすることが出来ない。目は痛み鼻は詰り頭はぼうっとするものだから、人に会う時だって準備が遅れるし、外に出れないこともある。苛苛する。そもそも花粉というのは、動けない木々達が花の柱頭にどこぞから飛んできた花粉を着生して、子孫反映する為に行われているものであって、言うなれば花のセックスである。それをまぁあいつらはところ構わず撒き散らすものだから、僕らは妊娠はしないけどその精子を飲まされているわけなのだ。だから、僕は花粉症のひどい女の子というのは精子を全身に塗りたくられている様を想像してしまう。嗚呼興奮する。心の中で想像した時それは既に自ら姦淫を行っているも同然、とそう聖書に書いてあった。確か新約のほうだったと思う。
 しかし、何故だって此れ程お前ら木々の生殖の為に我々人間様が、僕が苦しんでやらねばならないのだ、あほ。なんというか、人の家にあがりこんできたカップルが勝手にセックスを始めているようなむかつきを感じる。(俺の家で上記事項に身に覚えのある黒髪カップル土下座しろよ)大体姦淫、セックスというのはそもそもわれら総じてすっぽんぽん、丸裸布一枚の原始のころから存在しておるわけで人の家で姦淫を行いたくなったら着物を脱いで外へでも出てくれば宜しいのだ、発情期のあほどもめ。基本的に僕の家では僕とその女のみが姦淫を行えるようになっているのだ、それがルールだ。あほ。しかし、地球の有象無象の木々、花々達からすれば勝手に上がり込んで四六時中人目気にせず姦淫を行っているのは人間のほうかも知らん。まぁ花見なんかで、酔っ払ってる奴は木の根っこに小便なんかを引っ掛けたりするから、花粉を僕らに引っ掛けてるあいつらとは団栗の背比べと大して変わらんかもな、と思った。
 花粉の何がそんなに気に食わないかというと、鼻が詰まってしまうところ。僕は稀代の酒のみであり飯もうまいものしか喰いたくない金遣いの荒いたちであって、鼻が詰まってしまうとこれらの味がわからなくなる、と、するとうまいものを食ってもわからない、うまいものとまずいものの区別ができない、となると非常に気分がよろしくないのだ。最近ではスコッチ、グレンオードのシングルトン12年物が手に入ったのでそれを飲むようにしているのだが、晩酌をしようと思ったときに鼻が詰まっておると、どうもそんな高い酒を味が判らない状態で飲みたくない。うまい酒はうまいと感じることが出来るときにのみたい。珈琲なんかは特にそうで、3月から5月のはじめ僕は絶対に喫茶店に行かないのは、どんなにうまい珈琲でもこの時期は何を飲んでもまずい。家では大抵インスタントなので味なんてもうどうでもよくて、砂糖とミルク粉をたっぷり入れた腐った珈琲を日々たのしんでいる。あ、なんか前にも書いたぞこれ。あれだ、先日懸賞用に珈琲のエッセイを書いたのだ。それと内容が被ってしまいそうなので珈琲の話はこれくらいにしておこうと思う。
 昨日親爺と呑んでいた時に煙草を数本貰われて、今朝見たら一本しかなかった。買いに行くには花粉がつらい。嗚呼、しけもくか。しけもくというのは吸い終わった煙草に再び火をつけて吸うという大学生の常套手段であるが近頃そんな堕落した人間に出会うこと自体が稀なような気もする。花粉でつまった鼻になんとか煙を通して鼻をすっきりさせたいと思って煙草を吸うのだが、うまくいかない。そうは鼻水が通さない。誰か俺の僕の中を舐め回してくれねぇかなぁ、女の子。多分最高に気持ち良いぜ。多分やってる側よりもやられる側のほうが気分がいいから、フェラチオみたいなもん。feltization with me. 鼻から煙を無理に押し出す、えんらえんら、ゆらら。えんらえんらと見上げる競争をしておったら彼は「天井があるのはずるいではないか」と言うので鼻で笑ってやった。煙草一本ではなんの足しにもならない。くそ。
 

2011年4月4日月曜日

はじまり。

昔昔、男は苛苛していました。
いつものように煙草を吸い、酒を飲んでも苛苛は収まりません。
お気に入りの音楽を聴いても、心は晴れません。
それは昨日、ずっと恋焦がれていた女に振られたからでした。
「ちくしょう、俺があの子に振られたのは俺がとんでもない不細工だからに違いない。こんな俺には生きてる価値なんて無い。いっその事死んでしまおう。」
男は野垂れ死んじまおうと思い、森へ向かいました。
美しい花、凛々しく聳え立つ木々、そんなものに彼は糞程の価値も見出せません。
そうやって森の中をぐんぐん進んでいくと、何やら怪しいものを感じ取りました。
絵を描いている美男子がいたのです。彼にいくら話し掛けても、言葉が返ってきません。
彼は、うまく物が言えなかったのです。
なんとなく男は自分の全てを話したくなって、女にふられたこと、それが自分が不細工であること、酒を飲んでも好きな音楽を聴いても気が晴れないこと、全部話してしまいました。
するとその絵描きの男は、筆を物凄い速さで動かしはじめました。
描きあがったのは、さっきまで全てを話していた男の、綺麗な、綺麗な顔の似顔絵でした。
「俺の顔は、こんなに綺麗だったのか!女に振られたのは、あの女の趣味が悪いに違いない!きっとまたいい出会いがあるさ!生きよう!」と喜び、有頂天になりました。
すると、絵描きの彼は、喋りづらそうに、自分も不細工なのではないかと悲しんで、森に野垂れ死に来た事を告げました。
有頂天になった男は、事実素晴らしい美男子である絵描きの顔が如何に素晴らしいかを、幾千の言葉を使って表現し続けました。
絵描きの男も、喜び、有頂天になりました。しかし、そこで二人はげらげらとまるで馬鹿になったように笑い続けました。
二人は、見た目にこだわることがどんなにくだらない事か気付いたのです。
もう人生がたのしくてたのしくて仕方なくて、息が苦しくなるまで笑い続けたので、死んでしまいました。
そこから千年が経ち、時は西暦2010年、生まれ変わった彼らは再び出会いました。
そして、二人の言葉と絵で、本当の幸せを探す旅に出たのです。