2012年8月28日火曜日

事実は小説よりも奇なり、といって、時に実際に起こった出来事のほうが小説の架空の話よりも珍妙不可思議である事がしばしばある。そして、人というのは少なくとも20、30年生きていれば一度くらいはそういった”事件”に出くわすことがある。私は小説家であるからか、といっても売れない小説書きであるが、人のその”一生に一度あるかないかのチン事件”を聞いて書き残し、収集するコレクターである。今回はその中でも一番新しい、そして解決に大いなる時間を要したものをご紹介したいと思う。

no.22

十月十二日

月 悪男 二十六歳 が葬式の最中に死亡した。全身殴打で、殺人である。
なんと出席者全員にリンチされるという無惨な形だった。
遺族はもちろん、葬儀の当人、また、被害者と面識のある人間、全員が罪を認めているのだが、皆口を揃えて

「あいつは死んで当然だ!」
「あんな奴だとは思わなかった!」

と言っていて、何をしたかというと、葬式の弔辞を読む際、当人をこの世のものとは思えない程汚い言葉で罵倒しまくり、お○こ、ど○ん、きち○い、か○ぺ等の放送禁止用語を連発し、靴を脱いだかと思えば棺桶の周りの花の上に立ちもら○泣きを歌ったり、また棺桶に登って裸でソーラン節を踊ったり、と悪行の限りを尽くしたのだという。
余程当人の事が嫌いであったのだろうか。それにしても死んでからそういう仕打ちをして自らが遺族や友人達に殺されてしまうとはなんとも非合理的な行動である。何か謎がありそうだ。

十月十七日


被害者の会社や近所に聴取を行った所、意外な答えが出てきた。会社での評判は”少し冴えないところもあるが真面目で勤勉な男”で、残業が長引いても何一つ文句も言わずに働くのだという。住んでいるアパートでは、家賃の振込みは遅れた試しがない上に、ゴミはしっかり分けて出す。おおよそ人に恨まれるという事からは程遠い人間であったという。ドラッグ、酒などで正常な判断が出来なかったという推理はどうやら違うらしい。ますます謎が深まった。


十月二十五日

何故そんな行動を起こしたのか。行動を起こした本人が死んでしまっては誰にも確かめようが無い。諦める他ないのか。


十一月八日

友人Aにこの話をした所、東北は青森、恐山にいるイタコが霊を呼び寄せる術を持っているという。
明日の朝から早速向かうことにする。そういえば締め切りが明日に迫っている。


十一月九日

AM5:00、友人Aの車で青森に向かう。AM10:00、担当からの鬼のような着信が着ていたが恐山に登って携帯の電波が無くなる。よかった。 AM12:00 寺に到着、雪が降っていてものものしい。


十一月十日

昨日の出来事を一気に纏める。
12時に我々は恐山の寺に到着した。昨日の手記にも書いた通り雪が降っていて重々しい雰囲気に包まれていた。寺の入り口から数百メートル歩いたところに、「一霊 三千円」との札が張ってあり、なんとなく信憑性を疑う。Aは
「うん、大丈夫、多分。」
と言っているからおそらくもしこのイタコの降霊術がインチキだった場合に発生する”自分が紹介してしまった”という責任を強く感じているのであろう。
イタコは八十歳程の婆様だった。
イタコに被害者の名前、年齢、住所を伝えると、何やらおもむろに唸りながら祈りだした。










2012年8月23日木曜日

愛の二人乗り

季節を外して仙台に行ったら、電車は

原宿、千万人の中のオアシス

「あの、決して否定的な意味で捉えないで欲しいの、ただ、貴方は私と話していて楽しいのかな、と時々思ってしまうのよ。私は、ほら喋れないから。」

久々に会った志摩子の投げかけは余りにも不意をついたもので、安カフェ俺の九州~大阪縦断小噺は一時中断せざるを得なくなった。不意をついたというよりかは、馬鹿々々しいと言ったほうがいいかもしれない。

「さっきからあなたばかり喋ってくれて、私はそれに対して何も返す事が出来なくて、ただ感心しているだけ。私はこれで楽しいのだけれど、あなたはどうなの?楽しいのだったらいいのだけれど。」

笑うと同時にため息が出る。毎日人と話す時にこんな事を考えていたら志摩ちゃんは疲れて死んじまうんじゃないだろうか。まあ、他人から見たら俺の数多くの心の葛藤達も相当にくだらない事に見えるに違いないのだけれど。

「別にこっちは喋っているだけで楽しいよ。志摩ちゃんが喋れないから、その見返りにセックスしてくれるっていうんだったら甘んじて受け取るけど。」
「そういう話じゃないわよ、馬鹿言わないで。」

先ほど頼んだ二人の飲み物は既に尽き果てていて、それぞれの灰皿にそれぞれの吸殻と灰だけが積もってゆく。
俺は進んでカフェという場所に行く事はない。その理由はまず第一に、酒が飲めない場所である、ということだ。近頃は、カフェ&バーといって昼はカフェ、夜はバー、という形態のお店も増えてきたが、その雰囲気は昼の明るさを引き摺っていて、酒を飲むそれでは無いように思える。
第二に、内装が酷く気取っていて、それでいて粗雑であるということ。いつだったか、家の近くの理髪店に散髪しに行ったところ、雑誌でお洒落なカフェ特集というものをやっていて、ぺらぺらと捲ってみたのだが、むやみやたらに上から物がぶら下っていたり、不気味に暗かったり光ったりと、ろくなものが無かったのを覚えている。
第三に、カフェに来る人々が嫌いなのだ。如何にも自分は”上”にいる人間ですという見栄を張った外見、不細工な顔立ち、女とセックスをするのがまるでステータスであるかのように常に女を捜し求めているような眼、そして聞こえてくる落書きのような会話達。彼等は皆誰かに評価される為に自分の人生を生きている。好みでは無く、周りの目の為に服を着て、”俺は何人とどういう変態セックスをした”と云う為にセックスをして、死ぬ瀬戸際まで”いい人生だったね”と言われる為に生きている。これは承認欲求という奴で、しばしば承認欲求は夢という言葉に化けて人生を狂わせる。本当にやりたいことが他所にあるのに、他人から評価されたいが為に別の事をし始めるのだ。そうすると大抵性に合わない事であったり、悩みを抱え始めたりして、最悪の場合自殺も考えるようになってくる。俺もフリーではあるが、今の文章、脚本を書くという仕事に落ち着くまで、このおぞましい感情に乗せられて様々な事をやったが、今となってやってよかったと思うものは何一つない。しいて言うなら、女の口説き方が身に染み付いたくらいだ。ただ、俺にとって話す事というのは、承認欲求を満たしてくれる上に自分の職業柄合っていることでこうなると”天職”と呼べるようになるのである。
まあ、なんだかんだ御託を並べてはみたものの、結局俺は志摩ちゃんに承認されたいのだ。


「まあ、久々に会って、なんか、良かったよ。すごく。」
志摩ちゃんがそう云うと、彼女のその相変わらずの真夏の牢獄の一滴のビールのような清々しさに俺は潤いを感じているのだった。周りはくだらない会話で窒息しそうなカフェ、休日の昼。そこで、志摩ちゃんが俺の為に作り出してくれる一人で喋り続けられる密室は、クーラーのきいた俺の部屋にも存在しないオアシスだ。

そのあとは志摩ちゃんとバイバイしたのだが、バイバイの時に彼女から仕向けてきたハイタッチのせいで、逆車線の電車に乗ろうとしてしまったのは間違いでもなんでもなく、その日の恋の仕業なのだ。