2012年8月23日木曜日

原宿、千万人の中のオアシス

「あの、決して否定的な意味で捉えないで欲しいの、ただ、貴方は私と話していて楽しいのかな、と時々思ってしまうのよ。私は、ほら喋れないから。」

久々に会った志摩子の投げかけは余りにも不意をついたもので、安カフェ俺の九州~大阪縦断小噺は一時中断せざるを得なくなった。不意をついたというよりかは、馬鹿々々しいと言ったほうがいいかもしれない。

「さっきからあなたばかり喋ってくれて、私はそれに対して何も返す事が出来なくて、ただ感心しているだけ。私はこれで楽しいのだけれど、あなたはどうなの?楽しいのだったらいいのだけれど。」

笑うと同時にため息が出る。毎日人と話す時にこんな事を考えていたら志摩ちゃんは疲れて死んじまうんじゃないだろうか。まあ、他人から見たら俺の数多くの心の葛藤達も相当にくだらない事に見えるに違いないのだけれど。

「別にこっちは喋っているだけで楽しいよ。志摩ちゃんが喋れないから、その見返りにセックスしてくれるっていうんだったら甘んじて受け取るけど。」
「そういう話じゃないわよ、馬鹿言わないで。」

先ほど頼んだ二人の飲み物は既に尽き果てていて、それぞれの灰皿にそれぞれの吸殻と灰だけが積もってゆく。
俺は進んでカフェという場所に行く事はない。その理由はまず第一に、酒が飲めない場所である、ということだ。近頃は、カフェ&バーといって昼はカフェ、夜はバー、という形態のお店も増えてきたが、その雰囲気は昼の明るさを引き摺っていて、酒を飲むそれでは無いように思える。
第二に、内装が酷く気取っていて、それでいて粗雑であるということ。いつだったか、家の近くの理髪店に散髪しに行ったところ、雑誌でお洒落なカフェ特集というものをやっていて、ぺらぺらと捲ってみたのだが、むやみやたらに上から物がぶら下っていたり、不気味に暗かったり光ったりと、ろくなものが無かったのを覚えている。
第三に、カフェに来る人々が嫌いなのだ。如何にも自分は”上”にいる人間ですという見栄を張った外見、不細工な顔立ち、女とセックスをするのがまるでステータスであるかのように常に女を捜し求めているような眼、そして聞こえてくる落書きのような会話達。彼等は皆誰かに評価される為に自分の人生を生きている。好みでは無く、周りの目の為に服を着て、”俺は何人とどういう変態セックスをした”と云う為にセックスをして、死ぬ瀬戸際まで”いい人生だったね”と言われる為に生きている。これは承認欲求という奴で、しばしば承認欲求は夢という言葉に化けて人生を狂わせる。本当にやりたいことが他所にあるのに、他人から評価されたいが為に別の事をし始めるのだ。そうすると大抵性に合わない事であったり、悩みを抱え始めたりして、最悪の場合自殺も考えるようになってくる。俺もフリーではあるが、今の文章、脚本を書くという仕事に落ち着くまで、このおぞましい感情に乗せられて様々な事をやったが、今となってやってよかったと思うものは何一つない。しいて言うなら、女の口説き方が身に染み付いたくらいだ。ただ、俺にとって話す事というのは、承認欲求を満たしてくれる上に自分の職業柄合っていることでこうなると”天職”と呼べるようになるのである。
まあ、なんだかんだ御託を並べてはみたものの、結局俺は志摩ちゃんに承認されたいのだ。


「まあ、久々に会って、なんか、良かったよ。すごく。」
志摩ちゃんがそう云うと、彼女のその相変わらずの真夏の牢獄の一滴のビールのような清々しさに俺は潤いを感じているのだった。周りはくだらない会話で窒息しそうなカフェ、休日の昼。そこで、志摩ちゃんが俺の為に作り出してくれる一人で喋り続けられる密室は、クーラーのきいた俺の部屋にも存在しないオアシスだ。

そのあとは志摩ちゃんとバイバイしたのだが、バイバイの時に彼女から仕向けてきたハイタッチのせいで、逆車線の電車に乗ろうとしてしまったのは間違いでもなんでもなく、その日の恋の仕業なのだ。