2011年5月30日月曜日

絶えねば絶えね

梅雨というやつが、煙草を買いに行くのを二時間程渋らせている。外に出るのは面倒臭いが、雨となるとそれはもっと面倒臭い。ここ最近灰皿の代わりを務める朝日新聞社製記念マグカップの中にも、三本のラッキーストライクの残骸だけである。それを指でつまんで取り出すと手のほうぼうが灰にまみれた。それを吸って心を落ち着かせる。買い置きの梅酒は常に欠かさぬ様にしてあるので当分は問題ない。すぐに苦くなってきた煙草をマグの内側に擦り付ける。二十五時二十分、泣く子も黙る丑三つ時と云うやつである。そんな時に如何して外に出られようか。女と一緒に暮らしでもしていれば連れだって買いに行く事も出来たかもしれないがこちとら実家暮らし、女と云えどそれは己が母と婆さんだけで願い下げだ。なんてことを考えていたら先程までひた煩かった雨音がしなくなっていて、妙に静けさだけ見えている。眠れない夜だ。六月には梅雨が止んで、その頃にはつい最近まで交際していた女はオーストラリアへ留学に行くらしい。あいつの為に何か唄でもうたってやろうかと半刻程思案を巡らした結果、こんなものが出来た。

六月俺の 雨模様など 愛し貴女は露知らず



はやく、行ってしまえばいい。梅雨と一緒に。夏まであと、少しある。

2011年5月26日木曜日

傲慢のマーマレード、四

自涜に浸ると云うのは矢張り寂しいものなのか朝起きてみたら部屋中が空虚とイカの臭いでいっぱいでやっていられなくて家を出た。当分はイカを食えない。テレビの出演まではだいぶ時間がある。朝の表参道、ゴミ溜めとルビを振っても差し支えない風景だった。原宿のほうへ向かいマクドナルドへ入ると奇抜な格好をした連中がごろくにん、朝まで遊んでいたのかソファで寝ていたり携帯をいじったりしている。やたら細いデニムを履き、髪の色はまるで信号のようで見誤って車が衝突事故を起こさないか非常に不安を覚える。朝マックを頼む。コーラは朝にはきつすぎる。何を頼み間違えたかおもちゃが一個ついてくる。ボタンを押すと音を出す犬。子供はこれをもらって本物の犬に蹴りを入れて音を出すのだろうか、即効廃止されたし。何がハッピーセットか。犬は大迷惑だ。犬と云うのは総じて迷惑をこうむる機会が多い気がする。携帯のCMでしゃべらされ、帰らぬ主人を待ちぼうけ、おまけにアメリカ映画に出演するも大概はさかりのついた行為の撮影ばかり。悲しきかな犬。ああ無常。無常と云えば好きな人ばかりが死んでいく。そう思うのは嫌いな人、どうでもいい人の生き死にに関する興味が無いからなのだろうか。そんな事を思いながら食べるマックグリドルは甘くなかった。どうやら甘い奴と甘くない奴を勘違い、頼み間違えた。チェンジ!叫んでみたのは心の中の斉藤さん。斉藤さんと右京さんは10分程パンケーキにアイスを載せるか載せないかで口喧嘩取っ組み合いの末混ざって最強さんになった。アドレナリンがどくどく、エフェドリンがどくどく。一度街を歩いていた時に薬のバイヤーというのに声をかけられた事があって、そいつが売っていたのは、合法だけどまるでエフェドリンが分泌されるかのようにハイテンション、その名もエセドリンと云うやつで、使ってみたら確かに似非物に間違いなかった。右は左で左が上だったし、そもそも青が赤に見えた時点でエフェドリンとはまた違ったものなのだろう。世界の帝王は俺だ!と思って気がついた頃には何故かアフリカの原住民の族長になっていた時があって、あの時は日本まで帰るのに数ヶ月を要し、テレビ番組に大きな穴を開けてしまったが、フレンチが変わりをやっていてくれたらしい。喜ばしい事だ、そういう浅知恵だけはある。タクシーを拾ってテレビ局へ向かう。穴を開けないために。

2011年5月17日火曜日

傲慢のマーマレード、三

 そこから宛てなく歩いて行くと、街には料理屋その他水商売の店なんてものは最近は野良猫より多くなって、その癖に、たまたまどこに入ってみたら美味いとか、あそこはたまたま美味しかったなんて店はどんどん少なくなり、雑誌で紹介されるものが全て、天国は観光しつくされた。うまくない店はまずいのだ。昔特有の行き当たりばったりのグルメの俺としてはなんとも納得行かないが、最近はその風潮に日和ったのかもしれない所があって、というのが高田馬場には俺が「次々とラーメン屋が変わっていくストリート」と命名しているとある通りがあって、そこには約八つ程のラーメン店が約半年のサイクルで立っては消え立っては消え、不味い店が無くなりまたそこに不味い店が出来て新しく美味い店が出来るまでは物件がどんどん変わっていく。ところが、その変わっていく店達に挑戦もせずに俺はまるでジグソウ、SAWだったかな、あれみたいでいやらしくて。行ってみて不味かったら店長ぶちのめして店じゅうしっちゃかめっちゃかにして帰るとかどうだい、たのしそうじゃないか。どうせなら内田裕也とか、らもとかさ、そういう風に生きたいよなあ。ロック。ロック。ワッツロック。料理研究家は?ロックか知らん?どちらかと云うと日々下らない問題に四苦八苦しているばかりで一向にその中間に行ってくれない。

そんなことを考えながら結局足はいつもの店に向かい、ドアを開ければ馴染のマスター、そして、以前朝の、いや昼頃の料理教室的番組で一緒に出たことのある美少女女優の水歯螺斗希湖ちゃんがいて、一緒に飲みますかと云う事になったので店の隅に隠れてちびちびと飲んでいた。斗希湖ちゃんは二三杯飲んだくらいで酔っ払い始めたので、となりに座らせ、キスをせがみ、事実キスをした。舌を絡める事が気持ちを絡める事に直結するならして欲しいと思ったが、如何せん女の子の心と体は別モノらしい。そこからちょっと時間があったので路地裏へ行き猥雑な行為に及ぼうとしたが、「彼氏がいるからダメ」拒まれた。女の子特有の酔っ払っている時はいいものの後で後悔するという奴で、あとで彼氏に泣き付いたらしく、次の日に彼氏に尋問されにいかねばならぬと云うことになった。話のねたにもなるしと云う事で会いに行ったが、さすが女優水歯螺斗希湖のボーイフレンド、美男子極まりなくて、惚れ惚れしながら見ていたが、どうやら僕の記憶が曖昧な部分と斗希湖ちゃんの供述に違いがあるらしく、そこの違いに彼氏くんは苛苛したようで、左手で服を捕まれスチール缶でおもいっきし殴られた。血が朝顔の露のごとく流れて綺麗で、小さい高揚が生まれたのを心の中に覚えながら、土下座をしろと云われたので土下座をしたら、彼氏君は案外傷を心配してくれて僕の傷の手当をしてくれた上多少のパシリをしてくれて、逆にこっちが引いてしまうくらいだった。殴って謝るくらいなら殴らなきゃいいのに。酔った勢いで猥雑未遂と激昂した勢いで傷害はどっちが悪いのだろう、どっちも駄目だ、不良でない人間があるだろうか、人類皆仲間さ、衝動赴くままにどつきあいながら抱擁する犬達なんだぜ。出たい時に手は出てしまう。で、誰が俺を責める事が出来るだろうか。誰が被害者だろうか。斗希湖ちゃんだけだよ、阿呆。

手当てをしてもらった後俺は帽子を買い、頭の傷を隠して夕方、繁華街を歩いたが、次第に殴られた時に生まれた高揚が爆発、大炎上を起こし、歌ったり踊ったりしながら街をほっつき歩いたので、この俺偉大なる料理研究家大河内芳乃がラリってるのではないかと掲示板に書かれても否定は出来ない。ちなみに何を歌ったかといいますと、手のひらを太陽にを替え歌して「ぼくらはみんなー生きているー、生きているからうれしんだー、後頭部缶でどつかれ 土下座をすれば 真っ赤に流れる ぼくの ち・し・お。」ってなかんじでやっておりました。こんな俺にも人様と同じ赤の血が!赤黒く頬を伝い痛みを感じ、その痛みこそが今の俺を掌る全てであるに違いなかった。いてえよ、いってえよ!これが幸せ!ラッキー!日常の世界からやってきた非日常よ!全ての人間はその他どうでもいい末節に毟られ、どつかれ、放り捨てられ、大したでもない悲しみと苦しみに喚き散らかすが俺は違う。今ならドラアグクイーンとですらセックス出来そうな気分。人生の最大幸福とは痛み、と云う程ではないが、俺を支配している三大快楽のうち最後のひとつは痛みである事を悟ったのだった。そう、丁度高校時代に内向的なクラスメイトが書いていた論文のテーマが、俺の全てなのかもしれないなと思った、『エロスとタナトス』それは相反しない。サディズムとマゾヒズムがそうでないようにそれもそうでないのだ。相反するといわれる物を同時に支配する、及び同時に支配される思い上がりだった。なんとなく、セックスフレンドを呼ぶ気にならず、自涜に浸ったのだった。

2011年5月2日月曜日

傲慢のマーマレード、二

 その日はいつも行っている「とんちき」という居酒屋で散々騒いだ。青島が焼き鳥を頼み、と云うのはこいつは野菜が全く駄目で、フレンチがサラダを頼み、と云うのは北川も北川でベジタリアンという、まあよくもそれでグルメと呼ばれると感心するが、フレンチはベジタリアンの癖に肉料理はしっかり作れるから吃驚する。味見をしないで一流のレストランにだせるようなものが作れるのかどうか甚だ疑問だが、確かに北川の店はかなり繁盛していて、実際にどんなもんだと行ってみたことがあって、まずけりゃいちゃもんの一つでもつけてびた一文払わずにかえるつもりだったが結局を云うと、きっちり代金を払って帰ることとなった。そして何が腹が立つかと云うと、あいつがキムチの食品会社といわゆる”コラボ”してオリジナルのキムチを販売していたり、水曜日のおやつ時に主婦と子供向け10分番組「キムチーマン」というヒーローモノ特撮の監修をやっていて、その内容と云うのが全国各所の専業主婦達が愛する家族のために献立を何にするか困窮している時「助けてキムチーマン!」と呼ぶとキムチーマンが光の様にやってきて、キムチを使ったレシピを何点か教えてくれるという内容だ。彼は奥様を麻酔銃で眠らせて、そのあいだにちゃちゃっと調理してしまう(スポンサー的にはそれぐらい簡単に美味しく作れると云いたいらしい)のだが、だいたい話の落ちるところというのが、キムチーマンが奥様がその日用意していた献立を全てキムチ味にしてしまうので、奥様が眠りから覚めてふたを開けると

「わあ!豚キムチだあ!これは…キムチ味噌汁だねえ!うわあ、これも・・・キムチ納豆・・・・・・キムチご飯?」

となって非常に困った奥様を尻目にキムチーマンが帰っていくというラストとなる。タイトルが毎回有名映画のパロディとなっているのは北川の趣味らしく、いい意味でも悪い意味でも印象に残ったタイトルをいくつか挙げさせて頂くと、「フライド・グリーン・キムチ」「シュガーなキムチ」「時計仕掛けのキムチ」。そして毎回何故か調理中に流れる映像が非常にレベルの高い殺陣である為に、一部のヒーローオタクと云うか、特撮オタクには根強い人気を誇っていて、キムチーマンのキャラクターグッズは何故かいつも完売で、今度映画化もされるらしいのだが、もともと10分しかない番組をどうやって映画化するのか非常に気をもむ。俺はどうにもその人気を理解出来ないのだが、と云うのもキムチーマンのデザインが、ゴレンジャーのようなスーツを纏った上に頭部がスーパーで売られているキムチ(それもちゃんと北川とコラボした商品のパッケージで)のあの、プラスチックの四角い箱のようなものを被せただけという見るからにお粗末な代物だからだ。あれが所謂”ださ格好いい”のだとしたらまったくいよいよ意味がわからない。という旨を北川に伝えたところ、あの、キムチーマンが全ての食材にキムチを入れてしまうというのは、遠まわしに韓国の事を馬鹿にした表現なのだと云う。てまえどもはキムチの味を生かしきれていないという反骨精神らしい。ただ、以前『キムチーマン』の番組の中でキムチの正しい発音が”KIMUCHI”ではなくて”KIMCHI”であるということを冗談交じりに放送した所、韓国からキムチの出荷を止めるぞとのお怒りを受けた事があるらしく、それ以降韓国嘲笑は程々にしているのだそうだ。
すると、砂じりばかりをただひたすらに食していた青島がおもむろに口を開き
「キムチは食いもんじゃねえ。」
と言い出して、機嫌の良かった北川の笑顔を少し引きつらせた。
「まあ、おふざけはこれくらいにして、傲慢のマーマレード、これをどうやって探し出すのか。三人寄れば文殊様の知恵ってやつだ。」
北川がさっきのお返しと云わんばかりに本当に存在するのかとか、誰から聞いたとか尋問している。青島も、わからない、いえないと押し問答の繰り返しをしている。
「どうせ一人で行かないと入れてくれないのだろ、その、規則だか、ルールだか、それが遵守されているのだとしたらさ。」
そう云って店を出た。手当たり次第にどこかで酔い潰れて帰ろう、今日は、いや、明日も明後日も、ずっと。