2013年10月7日月曜日

ガラスの動物園



きいきいきいきいもうたえられないくらいうるさかった。まるでそこかしこばらばらになり響いて、ふたつの耳に集まってきて、ふさいでもそのすきまからすっぽりはいりこんでくる、脳髄の輪郭に打ちあたって反射し続けて永遠に終わらない騒音、黒板の爪かき、醜女の喘声。たまらない本当なら艶めかしくうつくしい音、そんなふうにみんな言うけど、果たして本当にそうかな、コオロギたちのなき声がこんなにもおぞましいのは雌ばかりだからで、みことはため息をついて、またうんざりした。ヘッセの『ダミアン』なんか読んでてどうするんだ。

――どっちが悪だったなんて、どっちでもいいんだよ。イヴのせいだよ。でもそしたらお前のせいになっちゃうもんね――

わかってるんだかわかってないんだか、レビは首だか頭だかよくわからない、でも目と口がついていて十分なソレを一度振った。蛇は喋れない。鼓膜も退化してしまって、もう何も聞こえないけれど、昔は聞こえてた。神が蛇を罰した時に奪わなかったのは頭の良さだ。頭がいい、なんて頭と胴体がくっついてしまったからもう言えないけど、賢いってことだ。見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿は実は日本だけじゃなくて、古代エジプト時代から世界中にあって、それって猿のほうがばあばあ喚いてる人間より賢いってことじゃん。
レビはガラスケースの中でおとなしくしていた。反対側のガラスケースで泣き喚いているコオロギたちをじっーっと見つめている。コオロギは、レビの餌だ。レビの為にみことが買ってきて、嫌々飼育しているのだ。ガラスケースをあまりにも綺麗に拭きすぎているせいか、コオロギたちは飛び跳ねては見えない壁にぶつかってまたきいきいしていた。その姿はどうみたってゴキブリに近い。ゴキブリもコオロギも、食品に対して害があるから害虫だという。ゲジゲジやヤスデは「不快害虫」といって、外見や動きが気分を害するから、害虫なのだ。多分ゴキブリもコオロギも、食べ物が人間と同じじゃなくて、ゲジゲジやヤスデみたいに虫を食べてたら「不快害虫」だったに違いない。ゴキブリは雄しかいなくなると一部の雄が雌に変わるらしい。それに似たようなものだと思う。みことが間違ってレビに雄ばかり与えていたところ、ガラスケースに雄がいなくなってしまった。すると驚くことに雌の一部がまともな羽もないのにきいきいとなくようになったのだ。コオロギの雄のなき声は求愛のためだから、雌がやってもなんの意味もなかった。最初は一匹だったが、そのうち半分の雌がきいきいわめくようになった。当然だけど、みことは、なく雌からレビに食べさせた。でも、いくら食べさせても残ったやつらから一定の割合できいきいするコオロギが出てくるのだった。
レビはどんな時でもおすまし顔で、いつも静かに、肩に自分を回してくれて、大丈夫だよ、あんなの気にすることないよ、っていう感情を肌伝えていた。レビは賢いから喋らないんだ、恋人同士の会話のように伝えたいことはいつもなにか言葉にしなくたってそこにあって、それでいい、かしら文字でことばあそびなんかしなくていい。それをあいつらはばあばあつらつら、きっと何もないからっぽから時間を引き延ばして意味のあることを言ってみたいだけなんだ、わたしはこうおもうわ、わたしはそうよ、あなたは?くだらない会話ことばにうごかされてガラス張りにいつか太陽が溶けていくのを待っているだけ、なかなかおわらない惰性でうごき続けるのは太陽がまさしくみんなの脳髄で心だからなんだ。
レビごめんね、って、でも、いいよねってちらっとレビのほうを見た。わかってるんだかわかってないんだか。みことはガラスケースを横から蹴り倒した。ガラスのわれてこなごなになる音はきいきいより全然ましで、むしろここちいい。静寂で光が指して、満足だった。ガラスの破片が突き刺さって動けなくなっているコオロギたちを見て、みこととレビは、十字軍みたいだなあ、ね、と思った。今度はなかない虫にしようね、とも思った。
レビのおなかの音が鳴った。