2012年3月30日金曜日

俺達は陽の光に厭われて

「だから、占いとか商売なんて、そんな事は抜きにしてあなたの血を飲んでみたいの、私たちの生まれ持つ欲望のままに。それがどんなに不健康で、ドロドロで美味しくないものだとしてもね。」

サリーはそう云うとグラスの中の”ブラッディ・メアリー”を一気に飲み干して、うっとりとした眼で俺の首筋を眺めた。

「しかし、君のその性癖は、”生まれ持つ”っていうような先天的なものじゃないだろ?それはア・ポスト。。なんちゃらだよ」

「ア・ポステリオリね、確かにそうよ、ヴァンパイアは誰もは昔人間で、もともといたヴァンパイアに血を吸われ、さらにそのヴァンパイアの血をわけ与えられることによってヴァンパイアになる、後天的なものよ。でもね」
サリーが前髪をかき分けると青白く、そして若々しく美しい顔が俺の眼に飛び込んできた。

「これでもずいぶん長く生きてきたから、人間だったころなんて忘れてきちゃった。たった18年の人間時代の後、120年ヴァンパイアなんだから、もう生まれもってる体質みたいに思えてきちゃうの。だから私は、ア・プリオリ、よ。」

「めちゃくちゃな論理だ。」


吸血鬼が増えだしたのはここ100年の間である、と、俺の小学校の教科書には書いてあった。
50人の学級だとしてそのうちの5人から6人はサキュバス、ヴァンパイア、種は違えど吸血鬼であって、性の衝動、つまり吸血鬼たちにとっては”吸血”欲が芽生える思春期の頃になると、吸血鬼と人間で教室を分けて保健の授業を行っていた。今は亡くなった親父が云っていたが、親父が三十歳のころに段々と吸血鬼関連の性風俗が増え始め、今となっては血を”吸いたい”吸血鬼の女性と、”吸われたい”男達で繁華街は毎夜賑わいを見せている。
正直昼の雑誌の仕事をしていた頃には吸血鬼の女がいる店、というコンセプトに少しも気を引かれなかった。
ところが、毎日々の繰り返しでノイローゼ状態になり、会社を辞めてバーテンダーへと成りかわってから、常連のチヨさんに”同業者なのだから一度行ってみて損はない”と連れられて32歳で初めてここ吸血鬼バーpori≠doli”ポリ、ドリ”に出会ったのだった。
ポリドリは朗らかなバーテンダーとちょっと変わった女達がウリで、店の看板には
”血も涙もあります”
と書いてある。
サリーと出会ったのはその日だ。彼女はポリドリの売れっ子バーテンで、血を吸ってその人の悩み事等を当てて見せる”占い吸血女”として人気なのであった。チヨさんが俺の事を指して
「こいつ、ヴァンパイア初めてらしいよ、吸ってあげて。」
というとチヨさんはもう他の吸血鬼の女の子たちのところへ行ってしまった。みんなでハイタッチしている。
あの人は音楽雑誌の編集長で、その職業的に例外無くロックと洒落と、あと酒と、女が大好きである。
チヨさんはバーに来て新人の俺を見るや否や

「カクテル作れっ!」
と怒鳴ってきた。どんなのがよろしいですか?と聞くと
「あほっ、そんなん聞くなっ!」
と怒鳴る。先輩のバーテンダーが、チヨさん、まだこいつこの仕事始めて二週間なんですよ、とフォローするが、結局チヨさんは俺に作らせるといって聞かず、最終的にチヨさんが俺にヒントを与えるというところまで先輩が助け舟を出してくれたのであった。

「そしたら、カクテルの名前は、ロックンロール!!」

非常に曖昧であるが、なんとなく目星は付けた。

「俺は、俺の頼んだもの以外には金は払わへんからなっ!」

という後付が非常に俺を焦燥に陥れたが、最終的に、ミストスタイルで、バーボンにシュガーシロップを少し加え、少量のミントと混ぜ合わせたものを作ったところチヨさんの評価は上々、65点であった。
チヨさんが確実に俺の客になったのは、その3週間後で、深夜3時頃へべれけになって店にやってきたチヨさんは、ひどく消沈しており、今にも死にそうな目をしていた。

「おい、何か幸せになれるようなカクテルを作ってくれ。」
と、ぼそっと呟いたままじっと机の上を見ている。先輩に任せようと思ったが、今日は月曜日、普段お客さんが入るような日ではなく、俺とアルバイトの女の子の二人で店を回していた。
一瞬、裏のほうに逃げ込みバイトの女の子に

「やばい、幸せになれるカクテルってなにがある?」

と質問したが、そこはやはり女性で、シャンパンと言い出したので話にならず、もう戻らないとチヨさんが怒り出すという時に

「これだ!」
と思い立ち急いでカウンターでカクテルを作った。

「チヨさん、元気無いですけど、僕の全身全霊を込めて”元気が出るカクテル”作りましたよ。いつものように何が入ってるか当てて、採点して下さい。」

チヨさんはそうっとグラスに口を付けると、みるみるうちに怪訝な顔になり、苦い顔になり、そして満面の笑みへと変わり、それはもう店の裏にまで聞こえるような声で

「あほかぁっ!こんなもんが飲めるかっ!」

と大声を出したもんだからバイトの女の子はびっくりして裏から出てきたが、そこには満開の笑顔のチヨさんと俺である。

「して、このカクテルは何点ですかっ!」
「100点に決まってるやないかっ!なんでもええからはよ別の出さんかいっこらっ!」

チヨさんは以後、この”元気が出るカクテル”を、ウォッカにポン酢醤油を垂らしたものだが、二度と頼む事は無かった。
チヨさんは元気になったのだ。そして、店の常連から、俺の常連になったのだった。



サリーは、それが決まり文句なのか

「私、血を吸うのじゃないのよ、記憶を吸うの。」

と自慢気な顔で笑った。

「どうやって家に帰ったかわからない日があるから、そこの記憶をおくれよ。」
「いじわるね、嫌いじゃないわ。」

サリーは手首に口をそっと近付け、俺の皮膚の中の血管を探すように歯を添わせる。ちくり、とした腕を痛みがゆっくりと這い上がっていく。絶頂に近い感覚が頭を襲い、ああ、これが女の”いく”か、と快楽に浸っていたところをサリーの嘔吐きが邪魔した。

「うえっ、どんだけ酒に溺れてるのよ、血がドロッドロもいいとこ、とんでもない呑ん兵衛ね。」
「その点に関して言えば、占いは合ってるよ。」
「占いじゃないわよ、これは。」

彼女は俺を少し睨みつけると俺の血を口の中で転がしながら味を見ていた。

「ソムリエみたいだね、そうしてると。」
「あら、いいこと云うのね、私、独立したら作るつもりなのよ、そういうソムリエ協会みたいなやつ。」

ワインみたいに保存もきかないし、人によって、血液型によって、味が変わったりするのだろうか、なんてことを聞こうかと思ったが心の中に留めておいた。

「今馬鹿にしてるでしょ、わかるのよ、この、あなたの一部で。」
サリーは少し舌を出して笑った。八重歯についた赤が淀んでいる。確かに俺の血液状態は良くないらしい。

「あとは、人に嫌われるのが怖いからって自分から嫌われに走るタイプね。仕事の”机”を挟んでしか人と接することが出来ないんじゃない?」

その日から、俺はポリドリの客に、サリーの客になった。


「で、もし君の意のままに、血を吸わせてあげたとしよう。そうしたら、君は俺を吸血鬼にしてくれるかい?」

煙草のけむりでサリーの肌はより白くぼやけて見えたが、それでもしっかりとした眼や鼻だちがそれを美しく魅せた。
それは駄目、とサリーは首を振った

「私は今あなたに恋をしているのよ、あなたの血で溺れたいほどにね。でもそれは、私がヴァンパイアで、あなたが人間だからなの。あなたの外見も内面も全て、自分が人間であるという状態に感じている劣等感が形作っているものなの。それが私を興奮させるの。あなたがヴァンパイアになってしまったら、私たちはただの友達になるわ。そして、今まで通りでなくなったあなたは血を求めて人間の女性に恋をする。もしそうなったら、そのひとを、あなたの言い方でいうと”吸血鬼”にしたいとは思わないでしょ?」
「俺たちは友達じゃあ駄目なのか」
「本当に性格が悪いのね。それにヴァンパイアだってそんなにいいものじゃないわ、自分とは違う質のものを人間は忌み嫌うのよ、人間原理主義、なんて言葉がまさか生まれるなんて誰か予想したかしら?結局人間からは嫌われる存在なのよ、それはあなたにとって心地よいひとりぼっちかもしれないけどね。でも私はあなたをそうはさせない。私と生きていけばいいわ。」

俺はマスターに赤ワインを頼んだ。ここのワインはBOOMBOOM、シラー種というブドウを使ったもので、血の味に近しい味がする、らしい。
このワインを作った人、チャールズスミスはどうも昔ロックスターだったらしいがそんな人は知らない。チヨさんに聞いてみよう。

「じゃあ、俺はこれで満足していればいいのかな。」
「そう、私はあなたの血で満足するの。それでいいの、あなたは一生その劣等感と戦い続けて、ぼろぼろになって、それがあなたの人生よ。でも大丈夫、私がそばにいてあげるわ。あなたが幾つになっても、私は奇麗よ。」

俺達の他に客は誰もいなかった。俺達はマスターに隠れて、こっそりとキスをした。
サリーはそのまま俺の首筋に牙をあてた。少し意識が遠のいていく感じ。
明日からの仕事は、毎日絆創膏でこの傷を隠して仕事をしなければならないだろう。それを見てお客さんは何を思うだろう。浅ましいと笑うのだろうか。
吸血鬼を愛した人間にも、吸血鬼に向けられる蔑みが、”人でなし”の侮蔑が与えられるのは当然かもしれない。どちらにしろ俺は陽の光を避けて生きていかなければならなくなった。

今日は十五日。外に出ればきっと月がまんまるで、奇麗に浮かんでいる、いい夜なのだろう。
月が、本当に奇麗だ。