2011年8月17日水曜日

あの日川嶋が云った事

 川嶋と云うのは俺の高校生時代の友人のうちの一人で、よく食らいよく飲めば、女遊びもしたたかこなす、なんと云ったらいいのかわからないのだけれど、あいつのあだ名は師匠だったし、事実あいつは俺達の師匠であった。年齢は自分達と同じである人間に対して敬語を使い師として崇めるのにはそれなり、と云うか、俺達なりのきっかけがあって、ある日川嶋が話してくれた「話」を聞いて以来、奴は師匠になったのであった。当時の俺達には”経験”が無さ過ぎて、途中で相槌を入れる事もそれに対する感想を頭の中に描く事すら脳が認可しなかったのである。



「なあ、お前ら皆童貞と違うだろ、女性と付き合った事あるだろ。でもきっと俺は多分お前らの数倍程その回数が多いと思う。まあ待て、これは自慢とか、そう云った類の話ではない。お前らは俺に対する勝手なイメージを作り上げやれ文化人だとか、最近の言葉で云うとサブカルチャー系男子か、そんでもって色情狂だとか全身ピンクとか云うがな、ほんといい加減にしてくれ。最近な、俺は、とんでもない事に気付いてしまったのだ。とんでもないって自分のサイズがとんでもないとかそういう話でもない。お前らはふと可愛い女を見つけた時、そいつになんとかして気に入られようと、やれ電話したりだとか、やさしくしたりだとか、なんとか気に入られようとする、取り入る。女のあのクソつまらん話に長々と相槌を打ち、本当だったらやりたくもない、皿くばり、エスコートみたいな気遣いに精を出す。そして何万もの金を使って女を喜ばせる為にただ齷齪と、道で小銭でも探してた方がまだ儲かるような時給のアルバイトで血と汗流して生きている。そしてまんまと女を射止めた後首尾よくセックスをする時、その時でさえもお前らは、やれ女が感じているかどうかだとか、伸び過ぎた爪が子宮に傷を付けないかどうかなんて事で頭をいっぱいいっぱいにさせながら腰を振っている。俺には耐えられない。その、女性に支配されているというマゾ的な生活をどうして続けていられるのか、俺には皆目検討も付かない。しかし、つい最近までそれに支配されている俺がいたのだ。セックスの為に女におべっか使い、金を使い、そして気を使って性欲半分にセックスセックス。こんな生き方をしていたら俺はきっと気い狂いて死んでしまう。そこでだ、昨日俺はデートがあった。10分程遅れると云う連絡が来た。待ったと思うか?ここまで云っていて待ったと思うか?答えは、待った。云うてるのと違うと云われても仕方が無いだろう、しかし俺は事実そこで10分間待っていたんだよ。しかし、その時の俺の心持ちといったら、まるで初めて食べ放題バイキングに連れて行ってもらえる幼な子のような、そんな多幸感が満ち溢れていたのだ。俺は言い訳を垂れ流しながら到着した女に公衆の面前でまず腹に蹴りをぶち込み、その衝撃で遠くへ行ってしまわぬ様胸倉を掴み寄せた挙句もう一度顔面に、今度は拳を叩き込んでやった。感想ねえ、射精するかと思ったよ、それぐらい気分は高揚した。自分が何故殴られたのかわからないと云う困惑の表情と恐怖がサラダになって俺の前に運ばれて、それを手掴みで食ってる気分。その後のセックスといったらもう、あれだよ、俺の俺による俺の為の、と云う奴だ。サンドバッグに穴があって、スピーカーを付けたらあんな感じになるのかな、もうそこら辺は察してくれよ。手を縛られ動くこともままならぬ喘ぐ裸体の人間の姿と云うのは、他の動物に対して、人間の進化が、知恵と言葉と云うものが如何に思い上がった不要の道具であるかと云うのを証明してくれるんだ。フェミニズム糞食らえ、だ。よく、自分で自分の事をサドだと云う男がいるが、あれは違う。女性がマゾ的であるという保障の元にしか自分のサドを遂行できない様な奴は、支配していると云う状態を生み出してくれている女の方に支配されているに過ぎない。より甘い快楽を!快楽とは何かって?痛みだよ。痛み。それの最上級は命を奪う事だ。俺達はセックスの度に女を殺してやらなきゃならんのだ。殺しに限りなく近いセックスを。本当に殺してしまえるならそれはそれで一番良い。支配の最上級も命を奪う事だ。支配と快楽は同義なのだ。自分の好きな女性に関して、俺のために片足を捧げるくらいの女がいたら俺は申し分無い。片足そっくりそのままを根元から切って欲しいのだ。生物としての五体満足から敢えて一つランクを落とした人間。自分より弱い生物に対して感じる圧倒的優位。それが支配だよ。男と女だよ、セックスだよ。わかんねえかなあ。」
そう云うと川嶋はそそくさと家へ帰ってしまった。この
話を聞いていた俺を含め三人の男子高校生達は
唖然を抱えて帰路に着いたのだった。

 川嶋の自殺の知らせを聞いたのはその次の日の朝だった。