2022年12月1日木曜日

私は、あるいは我々は、宇宙に行くため(あるいは帰るため)の音楽か、あるいは地球から宇宙を見下ろすための音楽を求めています。

 私は、あるいは我々は、宇宙に行くため(あるいは帰るため)の音楽か、あるいは地球から宇宙を見下ろすための音楽を求めています。

 

彼はいつも会うたびに、サイケデリックトランスの終焉を説く。それはホモサピエンス達が次のステージに行くためのサイケデリックトランスの役割というものが終焉した、という意味で、パーティカルチャーにおいてホモサピ達が音楽を中心とする拡大し続ける連続体の中で得るべきものはまた別のものになってきており、個々がカフェイン的にエネルギーを補給し続ける音楽というのではなく、より拡大する連続体の連続性というものに同化するような音楽が今ホモサピの進化に必要なのだ、という文脈です。無論僕も、宇宙というのがまず、はじめに、”あり”、そこに地球というものが”あり”そこにせいぜい一百億か、存在しているかどうかもわからない群体としてちっぽけに存在するホモサピエンス、もとい人間という生き物のその1つが発する音楽をお前達、あるいは俺たち人間に向けてどうする、という気持ちが強くあります。宇宙に、あるいは空からなにかを降ろす、降りてくるものに捧げるために音を出すか、あるいは唾を吐き出すのではないでしょうか。それは先ほど行ったサイケデリックトランスというジャンルの持つサイケデリック性ではなく、連続性のない好きなものをただ集めた子供部屋的な意味合いのサイケデリック的に地球の出す音に感謝するという形でしかなし得ない非常に美しいものだと思います。無論吐き出してしまったらもうそこには何もないのだけれど、それは宇宙と地球のために自らの実存を示し命を燃やすための大事な祈りのような何かのように鳴るのだと思います。

 

音楽は、あるいは音というものは、宇宙から来て(あるいは気散じに)、あるいは地球の核から宇宙を覗き見るための得体の知れない何かだとおもいます。

 

対して、言葉というのは飛来して吸着し同化します。それ単体では意味を持たない、特定の社会において初めて組み合わせて意味をなしていきますが、道具であるものの、コミュニケーションとは必ずしも協調と友愛のためだけに使われるものではなく、憎悪の表現さえコミュニケーションを以て行われます。中指は使い古され記号になってしまいました。

売文の徒としては、ひとつ/ひ/とつを切り刻み意味を持たせ、人に何かをさせる、たいていの場合ことばのつながりは金を使わせるよう仕向けるためのもので、結局のところはなにを書いていても、意図は”金を使え””従え”以外のことは書いておらず、あるいは書かせてはもらえないのです。
商業的、金を儲けようとするとそこに金を払う価値があると見出させるための価値付けが必ず発生しますが、それは何かよりも何かの方が優れているという技術という価値観があるのですが、それはしばしば転倒するし、転倒を目論む人々がいて、それがすごく良いことだと思っています。ビジネスというものはそれを悪用することによって人々の購買意欲を掻き立て、貨幣通貨を使わせ、働かせることで資本主義の歯車を維持することができますが、その悪意と自らの宇宙に対する操のようなものをアンビバレンツに持ちながら、そこでどうしようもなく出てくる膿のようなものを宇宙という教会に懺悔するのです。

転倒をいまかいまかと待ち望み、4分33秒経ったのち静かに立ち上がったとして、数列のイディオムはただのイディオムで、そこに意味を見出す人とあるいは何も知らずにその数列に新たな意味を見出す人々がいます。トンネルを抜けたらいつも雪国だったり、桜の木の下に埋まっているときたら必ず死体だったり、箱の中にいるのは絶対に猫だったり、では僕は困るのですが、困らない人々もいるでしょう。誰かにとっての運命的な出会いが必ずしも全ての人にとって運命的ではありません。文学性は特定の社会における文学的価値の再発見によって為されたものであり、それは点在する無数の星達を意図的に結んだ政治的権力的な星座にすぎず、星座にならない星達は、名前をつけられることはなく、しかし瞳にも確かに映りそこに確かに存在しているのです。私(達)は誰かによって結ばれた星座の間の線を闇に紛れて切る鉄鋏のような音楽でありたいと思っています。

 

宇宙がやがて溶けて地球を飲み込み始めて、(あるいは破壊的で、母親と父親のように自ら産んだ子を怒鳴り始め)、言葉も音もやがては一度あったものからきっと変わり果ててしまうかも知れないのですが…


宇宙から物事を見てみると、宇宙に遠く離れた二つの星があります。それはそこらじゅうにあるのですが、今は宇宙から、とある二つの惑星(x,y)に目を凝らしてください。ホモサピが宇宙でも絶対に壊れない船を開発したとして、光の速度を超えることのできない彼らの船が彼らの寿命を10度使い果たしたとしても辿り着かない距離に、この二つの星はあるのですが、どうやらホモサピの地球(z)からみるとこの二つの惑星(x,y,)はほとんど直線上にあり、地球からは惑星(y)を見ることはできないようです。こうした二つの直線上に重なり合う惑星たちは地球から見た時に、星の数ほどあります、冗談のように。短二度、というのはこの関係にすごく似ている気がします。短二度よりももっと近い距離にいればいるほど、それはわずかな揺らぎのような音を鳴らすのでしょうが、その音はホモサピ達の耳では認知できなかったとしても、地球は、宇宙はその揺らぎを知っているはずです。ピアノの上の全ての音は何かの短二度であり、またそれと同様に私を含め全ての存在するものは誰かの短二度の位置にいるのではないでしょうか。ああ、あの寂れたレストランにおいてあった、壊れてしまった狂った調律のピアノを彼が弾き始めた時、私の心は踊りました。初めは調律の生きた鍵盤だけを叩き、しかしいずれ調律の狂ったピアノの偶然性すら楽しみ始めた時、私は彼の全てにむける愛の大きさに涙を流さずにいられませんでした。狂ったピアノから美しい音楽を奏でることができる男は、全ての同じホモサピ達に不協和でい続けようとすることで協和を保っているように私の目には見えたのです。レストランの開けっぱなしの蛇口からは液体の楽譜が流れ続けており、ピアノの足まで浸していることに誰もが気づかず、彼の足の裏は楽譜のようになってしまったので、歩くたびに音が鳴って迷惑だ、と笑っていました。木の板を踏めば木の板の音が鳴り、鋼鉄を踏み締めると鈍い和音が響くのでした。従業員は慌てて誤魔化すようにすみませんねえと笑いながら雑にモップで拭き始めるものだから、床じゅうが踏めば鳴ってしまうようになってしまい、その日は営業どころではない感じになってしまいました。エアコンからも和音が鳴っていましたが、何の和音かというのは分かりませんでした。美しい音だったことは覚えています。ごうという鈍い音にエアコンの水の音が混じっており、時折レコードのぱちぱちという音を含んでながら、でも本当にエアコンの音だったかどうかは分かりませんが…。


int num; 

num = 0;

If(Repeat<3x):

// ↓3回以上即興していない場合に実行する処理

 

私は、あるいは我々は、宇宙に行くため(あるいは帰るため)の音楽か、あるいは地球から宇宙を見下ろすための音楽を求めています。


1000字くらいの即興で言葉を発してください。
num=num+1

(Repeat<3x):
NASA
が惑星の音、というのを録音していて、惑星というものは常に音を発していて、それがそのまま素晴らしい音なのだけれど、それはまだ幼児の頃の胎内の感覚に近く、実際生きているだけでそこかしこに音はあります。胎内でモーツァルトなんか聴かすな馬鹿野郎。音は確かにそこにあって、幼子はきっと聞いているはずで、その音を感じずにモーツァルトなんか外に出る前から聞いてしまって、モーツァルトを聞ける機会なんか外に出てから何十年、いくらでもチャンスがあるのに、ほんの僅かしかいられない母親の内側の鼓動というものに耳を澄ませないでどうするというのだ。話を戻すと、惑星はそこに存在していて、存在は音を放っています。もちろん熱も放っているのだけれど、熱と音というのはもうほぼ同じではないでしょうか。エネルギーというものは熱と音を放ちます。ホモサピの五感なんて鍛えていなかったらどんどん悪くなっていくものなので、そこにあることをわからないのは仕方がないことなのかも知れません。そこにあるだけでいいので、そこにある、をちゃんとやる、というのはものすごく大事なことです。ただそこに本当に没念と存在しています。私もそうです。そこに目の前に楽器があるということは私というエネルギーが楽器というエネルギーにぶつかった音が出るということです。これは楽器だけの話ではありませんが、兎角、楽器と対峙した時は楽器とぶつかることになると思います。では楽器と、無機物と、有機物と、ホモサピと交感するときに、仮に私は日本語という言語を使ってあなたに語りかけているわけなのですが、それを使えないホモサピがいたとして、音楽というのはまた別の言語的な何かに過ぎないのでしょうか。それは日本語が使えない時にカタコトで話す、というのと少し近く、しかし音である必要はあるのですが、それがレトリックに特定のことしか話せない、というのでは困るのです。エネルギーとエネルギーの邂逅はより原始的な部分に立ち返るべきだと思っています。笑顔というのはDNAに刻まれた共通のコードのように言われていますが、社会的なものでしょう。西洋音楽にて定義された心地よい音、悪い音というのはあくまで不快害虫のようなもので必ずしも全生命体の嫌うものではない、というのが私の認識ですが、私が知りたいことはそのエネルギーの交感の喜びのためのものであり、争うための技術ではない、というのが心の奥底にあるものです。エネルギーの交感というものは時には争いを孕みますが、それはあくまでエゴイスティックな自我と自我のぶつかり合いのためであり、一次元的な、技術的なレトリックを競う場ではないように思っています。言語や音は互いの相互理解(憎悪の意思表示や絶望の表現も含むと思います)のためにあるものであり、劣った音や言語能力、という認識がある人々がいて、そこから弾き出されるような社会そのものに転倒の芽が見つかることを祈ります。
とはいえここは宇宙空間で酸素はなく、でも我々は酸素以外の方法で生命活動を維持しています。酸素を吸うことで生命活動を維持する地球生命体、ホモサピを我々の生命活動維持よりも劣った目で見る動きもありますが、私はそうは思いません。長く生きるにつれ、語彙は増えていきますが、翻訳家のように語彙の数がお金になる世界ではない以上、小さな子供も大人と同じように交感の機会があり、それは言葉の交流の裏にある、ただ、存在している、ということの邂逅であるように思います。その逆は、片言で話す来訪者の言葉を無視する行為に似ているように思います。

私は、あるいは我々は、宇宙に行くため(あるいは帰るため)の音楽か、あるいは地球から宇宙を見下ろすための音楽を求めています。そしてそれは、私が世界につながるために、私の個人的なアプローチによってのみ達成されるものなのかもしれません。

2022年9月9日金曜日

ウォールフラワー雑記

 「人間というものは、根源的に孤独な生き物だ。その相手も孤独だから、人に左右されることはない」

バンド  ザ・スミスのボーカル、モリッシーは強い人間で、だからこそ一人で生きていけるし、生きていかなければならないことも知っている。だからこそ彼が歌う時流れるように歌うけれどそこには確固たる人間としての軸があってそれが揺れるからこそ美しい。人が孤独なのは間違い無くて、だからこそ一人で生きていかなくちゃと気張る人間はいつか崩壊する。それが素のままできるのは狂人だ。何も気にしない能天気な人間たちはある程度のバランスを他者に寄りかかりまた離れながらうまく年月をかけてやりすごしていく。でもやりすごしたくないのだろう?精一杯生きる、それがしたいのだろう?自分の中に存在する顔のどれが自分らしいかもわからないまま笑顔作って必死で生きているのが精一杯なのだろう?

映画のテーマとは全くミスマッチながら繰り返し登場する"asleep" The Smithを聴きながらそんなことを思った。

ウォールフラワー、壁掛けの花。煌びやかな憧れの世界を見てるだけの人間で、社会に触れることができない、そう思っている男の子が自分が憧れていた人々との交流を通して自らの精神の病と向き合うことができるようになる映画。サム役のエマワトソンとパトリック役のエズラミラーが役にどハマりしていて、というか二人とも素で演技してるかのようなハマり方。だけどその二人がハマってるが故に主役のチャーリー、統合失調(おそらく)持ちのローガンラーマンがひたすらに外側の人間でい続けなければならないような、最後まで壁掛けの花を卒業できてない仲間はずれ状態になっていた。正直僕は、"仲間ができて最高にしあわせな彼の生活"は彼の病気が作り上げた妄想なんじゃないかと思っていたがそんなことはなかった。でも一緒にいたって仲間はずれには変わりがない。そのくせ教師に「最初の友達が先生とか最悪です」みたいなこと言うだろ?いまいちブレてる。というかこの仲間がやっかいで、陰な奴らのグループと陽な奴らのグループのいいとこ取りしましたみたいな存在しない理想のグループなので、そこに一人リアルな存在のチャーリーは入り込めない。映画的すぎるんだよ彼らは。チャーリー、君は余りにも現実すぎる。チャーリーが本当の意味で仲間になるには君もロッキーホラーショーの先頭に立って恥ずかしがらずに歌わなきゃいけない。まるでムーラン・ルージュユアンマクレガーみたいに。象の部屋(サムの部屋でも)でWe can be Hero just for one dayくらい歌わないとこのミュージカルの中には入れないよ。まるでミッドナイトインパリの主人公のようにわけわからず付いて行ってるままなら独りぼっちのほうがいい。

サムはよく悪い男に引っかかるロックガール(この映画に出てくる人だいたいロックよりもゴスい音楽が好きなので全体的にゴスなんだけど)で、義兄のゲイのパトリックといつもつるんでいる、彼氏のクレイグの前では大人しく可愛らしくしているが本来はそんな性格ではないとのことだけど、実際チャーリーの前でもおんなじようなおとなしさなので、彼女には男の前でいい子を演じる癖があってなるほどあばずれって感じ。パトリックはアメフト部の…えーとなんだっけ忘れた男の子と交際してて、親バレして喧嘩するシーンが少し蛇足。別にアメフト部が喧嘩するシーンを主人公が止めるのもなんか、スーパーパワーのヒーローですか?というかんじでなんとなくいじめられっ子の理想の高校生活!みたいなかんじがしてこのシーンはとても嫌いでした。

結局チャーリーはどうしようもなく傍観者、ウォールフラワーはドラッグやってもウォールフラワーのまんま。なんていうか、場の根本的な空気に溶け込めていないからディズニーランド行って帰ってきましたみたいなミスマッチさがある。パトリックみたいな、いい仲介役がいて体験するエンタメと、地で自分で世界に潜り込んで行くのとはわけが違う。友達に勧められて始めたドラッグと自らやり始めたのじゃ重さが違う。

残念ながら俺も社会からしたら壁掛けの花、しかも萎れてしまってグロテスクな花、誰しもが悪趣味だと思いながら誰も捨てたがらないだけ、そこにずっと飾られている。だってこちら側の世界の方が稼げるんだもの、アングラでぬくぬくやってるよりも。

だから、そもそも壁掛けの花なんかではなく鏡なんだ、あちらとこちらの世界は違う。

鏡の中には鏡の中で世界があるから、僕らがあの人は変わりものだと思っても、変わり者の世界ではうまくやれてる可能性がある。美女と野獣で変わりものベルを演じたのはエマワトソンだったな。

チャーリーが仲間に入れてもらえるのはドラッグやってるときだけ、あちら側にいく勇気などないし、映画は映画。世の中には映画が終わった後の続きがある。あのあときっとサムはまた違う誰かと付き合うし、それは残念ながらチャーリーではないだろうし、パトリックはもういない。そもそもサムとパトリックを繋ぎ止めているものがなんなのか、映画では明記されない。片親同士再婚の子の心細さか?

世の中は続いていく、パンク突き通すことができないなら仮面を被り続けた方が人生は楽だ。30歳で終える人生設計なら知らんけど。

この映画を勧めてきた彼女からしたらエズラだけが刺さるのではなくチャーリーもまた刺さるのだ。未知の世界に怯える意気地なし、何故なら彼女もそうであるのに、まるであちら側にいると捉えられるから、おっかなびっくり煌びやかな世界に潜り込んで息苦しさを我慢しながらいつ造花とバレるか冷や汗垂らしながら生きているから。

だから自分より人間下手な男がいると愛したくなるんじゃないのか?違うかな。

 

クリスマスに親からもらった50ドルでプレゼント買うような愛が素敵か?マジで?ばっかじゃねえの。

チンピラと血反吐を吐いて喧嘩して奪い取ったぬるいビール瓶1本、俺だったらそっちの方がマシ。でも人それぞれ。

チャーリーが先生から譲り受けたのはサリンジャーライ麦畑で捕まえてだけど本当名作だからといって春樹とかサリンジャーとか別に青春が悪いわけではないが青臭くてとても食えたものじゃないな、俺は女はよく腐らせてから食べるけれど、狂ってしまった女のほうが面白いしそもそもまともな女には好かれないので…

 

女にもらったタイプライターではなく血塗れの抜け歯で小説を書け。

本当は書くことなんか何もない、書くほどの衝撃を受けた時言葉は溢れるものだから。私たちのことを書いて、という時彼は何を書くだろう?愛の詩なんか書けるのか?自分のことで精一杯の奴が?

mon petit au lait grasse


上唇で抑えるように、苦さを肌の上で感じながら、舌の中に甘いミルクを滑り込ませていく。まるで下着と肌の間に手を潜ませていくように、慎重に、そして愛を込めて飲み込んでいく。言葉は物事と物事との間を進んでいく。あれとこれのあいだ、過去とと未来のあいだ、僕と君のあいだ。これらを縮めるように作用する、または遠ざけるように。グルグルと回って近付けたり遠ざけたりする。だから僕たちは一言一言話す時に神経質にならなければならない。一言一句が自分そのもので、しかしそれぞれが一度口に発して空気中に音として消えていってしまえばはいそれまで溶けていってしまうが、そうなってしまってもそれを発した自分もその中に消え入ってしまっていって何故それを言ったのかは今の自分は全く覚えていない、ということはよくある。

閉店間際、片付をはじめている店員を余所目に彼女と僕はまだ二割も飲みきっていないまま、じつと互いを見つめていた。スピーカーから流れるGSの単調なエイトビートと阿久悠のように糸を引く言葉だけが上滑りしていった。

昭和歌謡の言葉というのはどうも美しい。恋の歌ばかりだけれど、恋とは唯一無二のfemme fatale あるいは"あんただけ""あなたしかいない"であって、現在のスマートフォンを左スワイプで次の人どうぞ、とまるで婚活パーティのような恋愛が常態化した簡素でインスタント、代替可能なパートナーを探す気散じの遊びではない。ファムファタール、自分の人生を狂わせる運命の女。狂わせるとはなんだ?自分の人生はどうやら女によって狂うのか?それともそもそもはじめから狂っていたのか?狂っているとは一体、なにを以って狂っているとするのか?では世間の正気は一体誰が保証してくれるというのか?

甘いミルクの上に、濃く抽出した珈琲二層に分かれるように注がれている、この宝石のように美しい冷たい飲み物をオ・レ・グラッセという。ミルクが多めに入っていて、その上にほんの少し珈琲の膜が張っているのだが、この珈琲はミルクの有り余る甘さを覆い隠すように苦い。上唇で珈琲を抑えつつ、絶妙に珈琲と甘いミルクを同時に口に入れて舌で混ぜていくという技術がなければ、マドラーやスプーンでしっかりと混ぜて飲むことになってしまうが、それではこの躁鬱入り混じった美しい飲み物の本当の美味しさを味わえているとはいえない。強い甘みと強い苦み、この二つを同時に味わう時、なんとも表現し難い快感が口の中を満たすのだった。

折れそうに細いステムのワイングラスを持つと、しかしそれは折れる様子もなくしっかりと軸があるのがわかる。華奢そうに見えてしっかりとしているのがよけいに彼女のようで少し鼻で笑ってしまうと、なんですか、と訝しまれた。

「僕がもし、いつか居なくなるよと言って本当に居なくなったら、寂しい?」
「寂しい」

濡烏のような黒い髪は風に靡くたびに乳白の肌を見え隠れさせる。横を向いている彼女の目尻が顳顬に向かって切長に伸びていて、まるで池永康晟の美人画のようだった。画家は、こういった顔を見るたびに絵を描きたいと思うのだろう。僕の場合はこうやって心の中に文字で書くのだ。

彼女の透明さが珈琲でずっと隠れたままでいて欲しいと思った。無理に掻き回して透明さがなくならないように、僕だけが飲み方を知っていればいい、飲み干してしまいたいでもなくなってしまわぬようじつと眺めていたい、これは愛だとその時は思った。

オ・レ・グラッセは口の中で膨らんでガムシロップ 特有の甘みを舌に残して消えないまま、甘ったるさがずっと残り続けるので上澄みの珈琲を飲んで、それでも入ってくるミルクの甘さに辟易するふりをしながら、ふとした揺れで混ぜてしまわぬようステムを折れてしまいそうな程硬く持ち直していた。

発酵と調理

発酵というのがいつか自分の大きなテーマになるだろう、とは薄々感じていて、発酵なんだよね〜とはずっと口にしていた。

ものには隙間がある。そこに油や、水や、空気や、言葉は入り込む。それは水のように滲み入る時もあれば、粉のように小さな穴を進んでいく時もある。人の五感、六感よりもさらに向こう側の第七官で感じ取られる何かもそこに入り込んでいく。生物の中に無数に存在する細胞だって、粉だって呼吸をしていて、動いている。苔も恋愛をしているかもしれないし、ぐい飲みと金魚だって恋をする。それは我々の認識する恋ではないというだけで。

人と人も同じ空気を吸い、そこにいるものに影響を与えつつ生きている。もしかしたら物というのはそこにあるだけで振動しているかもしれない。心臓駆動する人間などはそれで背後に人がいることになんとなく気付くのかもしれない。なんなら星も存在するだけで振動しているらしく、NASAでその衝撃波を音楽化したものが公開されている

https://soundcloud.com/nasa/juno-crossing-jupiters-bow-shock

発酵というのは生物における"食べて、排泄する"つまるとこ代謝であり、まあいっちゃえばその微生物にとっては糞便(あるいは文脈的には"こやし")なのであり、それが結果的に人間にとって良い影響を与える場合は発酵と呼び、害のあるものは腐敗と呼んでいる。

よく海外のドラッグ合法論争で言及されている

「ドラッグにいいも悪いもなく、ただ彼らは自然界に存在しているだけなんだ。」というやつと同じで、良いか悪いかを二元に決めるのはいつだって人間だ。

ドラッグの良い悪いは本論ではないのでさておき、発酵というのはそういう性質を持っている。して、彼らは物に付着し、あるいは入り込み、大きなものを少しずつ変容させていく。石は風によって、あるいは雨水によって削れたり、擦れたりして形を変えていくのと同じで、それは我々人間が感じられる速度ではなくゆっくりと、しかし着実に変わっていく。

藤枝静雄が書いた『田紳有楽』という小説は、骨董蒐集家の主人が掴まされた偽物のぐい飲みやら器やらを池に沈めておけばなんとなく味も出るだろ、みたいな感じで放り込まれた器や、そこに住む金魚やら、仏やら、はたまた神の偽物やらが出てきて大騒ぎする。

この小説ではそうやって主人の安易な考えに振り回された骨董等が主人を一泡吹かせてやろうなんて画策しながら動き回るが、藤枝静雄のコミカルさと、人間愛みたいなものが感じ取れるが、もしかしたら盗木や宝石など、人間の勝手で振り回された物等はより深い恨みを胎に抱えているかもしれない。

調理は"理"(ものごと)を"調"(ととのえおさめる)と書く。食材たちをあの手この手を使って自分ののぞむ形に動かしていくことは調理ではない。食材はそれぞれなりたい形が決まっていて、手当をして、あるべき姿に調える下僕のような料理人が自分の目指すべきところなのかもしれない。

そこに存在するさまざまなものは、互いに良い影響を与え合っていきましょう、珍妙奇天烈(=oddity)でも良く、ただそこにいるだけで良い。しかし誰かが理を調える必要はある。でなければ荒れてしまう。

先日新しい仲間と知り合った折、酒を飲んだ店にあった『日本の神様カード』というのを引いた。仲間が引いたカードはそれぞれ『高御産巣日神(タカミムスビ)神産巣日神(カミムスビ)』枠を飛び越え遊ぶ神々。自分が引いたカードは『天之御中主神(アメノミナカヌシ)』理を作り、世界を調えた万物の根源の神だった。

結構祈って、願をかけて引いた。万物の神だからすげー!最強じゃん!ということではなく、おそらく理をつくる神が自分のうしろにいる、ということは自分は場を調えつつ、周りの神々がやんややんや遊んでいるのを眺めながら酒を飲め、善哉、善哉と笑っていればよい、ということなんだろうと思っている(失礼だけど、事実この天之御中主神、世界を作ったあと何ら事績を語らずただ姿を隠したと記している)。

僕は人から受け取ったものを、それぞれあるべきところ、かたちに調えていく役目の人間だ、という風に考え始めています。そのままその人の通りで良い時もあれば、時には伝え聞いたことを自らの内にあたため、醸し、最適な形で渡すこと。これ発酵と調理に他ならぬ、と。

これ本当に難しいだろうなと思っていて、あるべき場所、姿を探すとき、自分を本当に消し去らないといけない筈で、本当にその人にとって"あるべき"とはなんなのかについてずっと考え続けるのってものすごく大変な作業で、かつ常に間違っているという疑いを自らに向け続ける必要がある。

あるべきものは、あるべきかたちにただそれ自身の力で少しずつ姿をかえていく。ただ、おそらくそれそのものの力では、ありたいかたちになれないものもいるのだ。”理”を”調”えるとは、そういったものたちに非力な手を差し伸べつづけることで少しずつぼんやりと生していくだろう。

2014年12月12日金曜日

電車


朝がはじまるのはきっと最初の電車がはじまってからで、それからというもの太陽の光は道を歩いていくサラリーマンを輝かしく照らすためのものだし、社会そのものがその光を浴びてきらめきだすからまともに生きていけない僕たちは建物の影から影を逃げ回るように、不快害虫のように人目を避いて歩いて行かなければいけないのだ。だってビルとビルを隔てて並んでいる道路や店やその店で売られているなにもかもは社会のなかで生きていく人たちのもので、何ひとつ僕のために売られていやしないのだ!僕がレジの前に立つと店の売り子たちは品定めをして、「おまえみたいなやつに売るようなものなんてなにひとつないね」と吐き捨てて目をそらすのだ。あの店の冷蔵庫に並ぶ缶は、その中身をどれがどういった製法で作られていてなどと詳しく知りたがるような人間のためにではなく、それをただおいしいと思って缶のまま飲み干す人間のために作られているのだ。もしくは、人に話すために三日もすれば忘れてしまえるトリビアとしてそれを知っていたい人間ばかりだ。それにしても道行く女性たちの艶めかしいこと!しかし彼女たちが望んでいることは彼女たちを喜ばせ賞賛してくれるような言葉だけなのだ。昨日のネイルの話。今まで知り合った男の話。くだらない話を寄り添って聞いてくれる男だけがほしい。壁のような男だ。彼女たちは化粧室のなかだけで鏡を見ているのではない、知り合いの男たちや女友達でさえも鏡なのだ。そのような生き方ができない僕にとって、彼女たちはショーウィンドウでしかない。決して手に入ることのない二次元的な生き物にしかすぎない。「おまえは相手から何かを得ようとしていない」誰かが未来で言った。すべてが平面的で触れることすらできないこの世界のなかで誰の目にもとまることない廃棄物のなかに塗れながら、いつか僕も廃棄物になってしまうのかと恐怖におびえているのだ。もうどこへも行き場がない。行き尽くしたわけではなく、ただ途方に暮れている。どれだけ歩いても本の上を歩いているようにたくさんの美しいものたちに触れることもできず、感じることもできずにただ眺めているだけで、やがて目さえも霞み、見ることすらできなくなっていくのだ。歩いても歩いても状況は好転しない行き尽くせないのはどこまでも行った気になっているだけかもしれない。慰めに手巻きたばこの紙を出してみる。葉を巻いて吸い終わってしまえばまた僕から去っていく灰となる。燃えて落ちる灰。自分で失くしていくくせに、離れていくなんて…そんな言い方はないだろ。高架線の下ではよくわからない機械が並んでいて、それらさえ線でつながっていた。それではじめて彼らは役割を為すのだろう。彼らのうちひとつがなんらかの故障でおかしくなってしまえばすぐさま電気屋だの、整備屋だの、取り替えていく。正常じゃないものは廃棄される。やがてゴミ捨て場で集まった正常でない機械たちは、線でつながる機械たちよりも親密にその身を寄せ合うけれどつながってなどいないし、互いの気持ちなど確かめようもないのだ。いずれ運ばれていくまで長い年月を過ごしたとして、挙句の果てにスクラップにされて一生離れることがなくなったとして、彼らの心は満たされるのだろうか?そもそも彼らに心はあっただろうか。そして、彼らほど俺は何かを考えているのだろうか。きっと彼らだって俺がこんな風に勝手にあれこれ考えているのをよくは思わないだろう。それこそ、俺が、誰かしらから向けられる奇異の視線を嫌がるように。朝日はより激しく罵倒をはじめた。出ていけといわんばかりに差し込む光。だがどこから出ていけというのだろう。あまりにもたくさんの場所から出ていかされてどこへも行き場がないというのにだ。いったいどこで閉じこもっていきていれば社会から蔑まれずに済むというのか。社会はあまりにも「希望」や「成長」、「理念」、「正義」といったものへの信仰を求めていて、片手でこぼれてしまわない程度のこれぽっちの幸せだけ抱えて生きていたいというような人間の肩を平気で揺さぶり、そのしずくも残さないようにしてしまう。そのしずくが無くなってしまってもなお揺さぶり続け涙だって枯れ果てるように僕の心の器を傾けつづけるのだ。僕のなかのさまざまな機械の配線が途切れはじめ故障したようになって、視界に砂嵐があらわれはじめる。いや、これは社会に砂嵐が吹いているのだ。なにも、みえるはずない。こんなせかいで、こんなまちで、荒々とした白黒の粒子しかみえない。やがて見えなくなっていくなにもかも、心に焼き付けておきたい風景などなにもない。

町をさまよい歩いて、目もとうぜん白黒で見えなくて、眠る必要もなかった。目がなにも見えないのだから目を閉じているのといっしょで、それでも目をあけていなければどこからか人がやってきて俺に蔑みの目線をよこしてくるかわからない。俺はつねに自分を守っていなければならなかった。夢というのはもっとも恐ろしくて、夢の中で俺はいままで見たものや聞いたものすべてに蔑まれるのだ。夢のなかの俺はもっとも俺を蔑む。いままで見てきたすべてを使って俺を罵倒し続けるのだ。俺が裁判長として行われる裁判に被告人俺として出頭し、そのくせ弁護人はだれひとりとしていない!傍聴人は裁判官の死刑宣告を待っている。もはやこの街では裁判傍聴はエンターテインメント。裁くなんて都合のいい言葉で、集団で俺を罵っているだけだ。しかし、俺のなかに俺を罵倒する社会があるのだ。心のなかで居場所を探しもとめるけれど、どこにだって目があってくすくすと俺のことを笑っていて、だからこそ日の光に照らされようものなら映し出された俺の姿をみて彼らは大笑いをするのだ。どこにいたって黄色と黒の二重線で「立ち寄らないでください」と叫び拒絶する。電車には乗ることはなかった。ホームの黄色いベンチでただひたすら人を眺めていた。駅の人々は俺を蔑みの目で見ない。彼らはなにかを見る余裕などないのだ。彼らは行き場所のある人たちで、その目的地に向かって全力なのだ。余計なものは見る必要がない。もしくは画面の中に夢中で現実世界、隣に座っている人間に興味なんてないのだ。しかし、そうした生き方こそがこの社会を生き抜くすべだということは俺だってよくわかっている。おそらく彼らの人生は素晴らしいものなのだ。ありあまる日常を予定や仕事で埋め尽くしてなにも考えないようにする人生こそがきっと。電車がまた到着して、サラリーマンやOLを吐き出しては吸い込んでいく。行き場所に着いてはまた新しい行き場に向かい、彼らは彼らの信じる「希望」や「成長」に向かって忙しく生きているのだ。彼らは何よりも時間がない。時間がないことが幸せなのだろう。俺のように時間が有り余ってただこうして茫然と座っていることは彼らには考えられない苦痛に違いない。彼らは俺のような人間をうらやましいそぶりをして蔑んでいるのだ。電車がまた到着して、サラリーマンやOLを吐き出しては吸い込んでいく。吐き出しては。吸い込んで。吐き出しては、吐き出しては、吐き出しては、吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで、吐き出しては、吐き出しては、吐き出しては、吸い込んで、吸い込んで、吐き出しては、吐き出しては、吐き出しては、吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで、吐き出しては、吐き出しては、吐き出しては、吸い込んで、吸い込んで……。

2013年10月7日月曜日

ガラスの動物園



きいきいきいきいもうたえられないくらいうるさかった。まるでそこかしこばらばらになり響いて、ふたつの耳に集まってきて、ふさいでもそのすきまからすっぽりはいりこんでくる、脳髄の輪郭に打ちあたって反射し続けて永遠に終わらない騒音、黒板の爪かき、醜女の喘声。たまらない本当なら艶めかしくうつくしい音、そんなふうにみんな言うけど、果たして本当にそうかな、コオロギたちのなき声がこんなにもおぞましいのは雌ばかりだからで、みことはため息をついて、またうんざりした。ヘッセの『ダミアン』なんか読んでてどうするんだ。

――どっちが悪だったなんて、どっちでもいいんだよ。イヴのせいだよ。でもそしたらお前のせいになっちゃうもんね――

わかってるんだかわかってないんだか、レビは首だか頭だかよくわからない、でも目と口がついていて十分なソレを一度振った。蛇は喋れない。鼓膜も退化してしまって、もう何も聞こえないけれど、昔は聞こえてた。神が蛇を罰した時に奪わなかったのは頭の良さだ。頭がいい、なんて頭と胴体がくっついてしまったからもう言えないけど、賢いってことだ。見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿は実は日本だけじゃなくて、古代エジプト時代から世界中にあって、それって猿のほうがばあばあ喚いてる人間より賢いってことじゃん。
レビはガラスケースの中でおとなしくしていた。反対側のガラスケースで泣き喚いているコオロギたちをじっーっと見つめている。コオロギは、レビの餌だ。レビの為にみことが買ってきて、嫌々飼育しているのだ。ガラスケースをあまりにも綺麗に拭きすぎているせいか、コオロギたちは飛び跳ねては見えない壁にぶつかってまたきいきいしていた。その姿はどうみたってゴキブリに近い。ゴキブリもコオロギも、食品に対して害があるから害虫だという。ゲジゲジやヤスデは「不快害虫」といって、外見や動きが気分を害するから、害虫なのだ。多分ゴキブリもコオロギも、食べ物が人間と同じじゃなくて、ゲジゲジやヤスデみたいに虫を食べてたら「不快害虫」だったに違いない。ゴキブリは雄しかいなくなると一部の雄が雌に変わるらしい。それに似たようなものだと思う。みことが間違ってレビに雄ばかり与えていたところ、ガラスケースに雄がいなくなってしまった。すると驚くことに雌の一部がまともな羽もないのにきいきいとなくようになったのだ。コオロギの雄のなき声は求愛のためだから、雌がやってもなんの意味もなかった。最初は一匹だったが、そのうち半分の雌がきいきいわめくようになった。当然だけど、みことは、なく雌からレビに食べさせた。でも、いくら食べさせても残ったやつらから一定の割合できいきいするコオロギが出てくるのだった。
レビはどんな時でもおすまし顔で、いつも静かに、肩に自分を回してくれて、大丈夫だよ、あんなの気にすることないよ、っていう感情を肌伝えていた。レビは賢いから喋らないんだ、恋人同士の会話のように伝えたいことはいつもなにか言葉にしなくたってそこにあって、それでいい、かしら文字でことばあそびなんかしなくていい。それをあいつらはばあばあつらつら、きっと何もないからっぽから時間を引き延ばして意味のあることを言ってみたいだけなんだ、わたしはこうおもうわ、わたしはそうよ、あなたは?くだらない会話ことばにうごかされてガラス張りにいつか太陽が溶けていくのを待っているだけ、なかなかおわらない惰性でうごき続けるのは太陽がまさしくみんなの脳髄で心だからなんだ。
レビごめんね、って、でも、いいよねってちらっとレビのほうを見た。わかってるんだかわかってないんだか。みことはガラスケースを横から蹴り倒した。ガラスのわれてこなごなになる音はきいきいより全然ましで、むしろここちいい。静寂で光が指して、満足だった。ガラスの破片が突き刺さって動けなくなっているコオロギたちを見て、みこととレビは、十字軍みたいだなあ、ね、と思った。今度はなかない虫にしようね、とも思った。
レビのおなかの音が鳴った。

2012年8月28日火曜日

事実は小説よりも奇なり、といって、時に実際に起こった出来事のほうが小説の架空の話よりも珍妙不可思議である事がしばしばある。そして、人というのは少なくとも20、30年生きていれば一度くらいはそういった”事件”に出くわすことがある。私は小説家であるからか、といっても売れない小説書きであるが、人のその”一生に一度あるかないかのチン事件”を聞いて書き残し、収集するコレクターである。今回はその中でも一番新しい、そして解決に大いなる時間を要したものをご紹介したいと思う。

no.22

十月十二日

月 悪男 二十六歳 が葬式の最中に死亡した。全身殴打で、殺人である。
なんと出席者全員にリンチされるという無惨な形だった。
遺族はもちろん、葬儀の当人、また、被害者と面識のある人間、全員が罪を認めているのだが、皆口を揃えて

「あいつは死んで当然だ!」
「あんな奴だとは思わなかった!」

と言っていて、何をしたかというと、葬式の弔辞を読む際、当人をこの世のものとは思えない程汚い言葉で罵倒しまくり、お○こ、ど○ん、きち○い、か○ぺ等の放送禁止用語を連発し、靴を脱いだかと思えば棺桶の周りの花の上に立ちもら○泣きを歌ったり、また棺桶に登って裸でソーラン節を踊ったり、と悪行の限りを尽くしたのだという。
余程当人の事が嫌いであったのだろうか。それにしても死んでからそういう仕打ちをして自らが遺族や友人達に殺されてしまうとはなんとも非合理的な行動である。何か謎がありそうだ。

十月十七日


被害者の会社や近所に聴取を行った所、意外な答えが出てきた。会社での評判は”少し冴えないところもあるが真面目で勤勉な男”で、残業が長引いても何一つ文句も言わずに働くのだという。住んでいるアパートでは、家賃の振込みは遅れた試しがない上に、ゴミはしっかり分けて出す。おおよそ人に恨まれるという事からは程遠い人間であったという。ドラッグ、酒などで正常な判断が出来なかったという推理はどうやら違うらしい。ますます謎が深まった。


十月二十五日

何故そんな行動を起こしたのか。行動を起こした本人が死んでしまっては誰にも確かめようが無い。諦める他ないのか。


十一月八日

友人Aにこの話をした所、東北は青森、恐山にいるイタコが霊を呼び寄せる術を持っているという。
明日の朝から早速向かうことにする。そういえば締め切りが明日に迫っている。


十一月九日

AM5:00、友人Aの車で青森に向かう。AM10:00、担当からの鬼のような着信が着ていたが恐山に登って携帯の電波が無くなる。よかった。 AM12:00 寺に到着、雪が降っていてものものしい。


十一月十日

昨日の出来事を一気に纏める。
12時に我々は恐山の寺に到着した。昨日の手記にも書いた通り雪が降っていて重々しい雰囲気に包まれていた。寺の入り口から数百メートル歩いたところに、「一霊 三千円」との札が張ってあり、なんとなく信憑性を疑う。Aは
「うん、大丈夫、多分。」
と言っているからおそらくもしこのイタコの降霊術がインチキだった場合に発生する”自分が紹介してしまった”という責任を強く感じているのであろう。
イタコは八十歳程の婆様だった。
イタコに被害者の名前、年齢、住所を伝えると、何やらおもむろに唸りながら祈りだした。










2012年8月23日木曜日

愛の二人乗り

季節を外して仙台に行ったら、電車は

原宿、千万人の中のオアシス

「あの、決して否定的な意味で捉えないで欲しいの、ただ、貴方は私と話していて楽しいのかな、と時々思ってしまうのよ。私は、ほら喋れないから。」

久々に会った志摩子の投げかけは余りにも不意をついたもので、安カフェ俺の九州~大阪縦断小噺は一時中断せざるを得なくなった。不意をついたというよりかは、馬鹿々々しいと言ったほうがいいかもしれない。

「さっきからあなたばかり喋ってくれて、私はそれに対して何も返す事が出来なくて、ただ感心しているだけ。私はこれで楽しいのだけれど、あなたはどうなの?楽しいのだったらいいのだけれど。」

笑うと同時にため息が出る。毎日人と話す時にこんな事を考えていたら志摩ちゃんは疲れて死んじまうんじゃないだろうか。まあ、他人から見たら俺の数多くの心の葛藤達も相当にくだらない事に見えるに違いないのだけれど。

「別にこっちは喋っているだけで楽しいよ。志摩ちゃんが喋れないから、その見返りにセックスしてくれるっていうんだったら甘んじて受け取るけど。」
「そういう話じゃないわよ、馬鹿言わないで。」

先ほど頼んだ二人の飲み物は既に尽き果てていて、それぞれの灰皿にそれぞれの吸殻と灰だけが積もってゆく。
俺は進んでカフェという場所に行く事はない。その理由はまず第一に、酒が飲めない場所である、ということだ。近頃は、カフェ&バーといって昼はカフェ、夜はバー、という形態のお店も増えてきたが、その雰囲気は昼の明るさを引き摺っていて、酒を飲むそれでは無いように思える。
第二に、内装が酷く気取っていて、それでいて粗雑であるということ。いつだったか、家の近くの理髪店に散髪しに行ったところ、雑誌でお洒落なカフェ特集というものをやっていて、ぺらぺらと捲ってみたのだが、むやみやたらに上から物がぶら下っていたり、不気味に暗かったり光ったりと、ろくなものが無かったのを覚えている。
第三に、カフェに来る人々が嫌いなのだ。如何にも自分は”上”にいる人間ですという見栄を張った外見、不細工な顔立ち、女とセックスをするのがまるでステータスであるかのように常に女を捜し求めているような眼、そして聞こえてくる落書きのような会話達。彼等は皆誰かに評価される為に自分の人生を生きている。好みでは無く、周りの目の為に服を着て、”俺は何人とどういう変態セックスをした”と云う為にセックスをして、死ぬ瀬戸際まで”いい人生だったね”と言われる為に生きている。これは承認欲求という奴で、しばしば承認欲求は夢という言葉に化けて人生を狂わせる。本当にやりたいことが他所にあるのに、他人から評価されたいが為に別の事をし始めるのだ。そうすると大抵性に合わない事であったり、悩みを抱え始めたりして、最悪の場合自殺も考えるようになってくる。俺もフリーではあるが、今の文章、脚本を書くという仕事に落ち着くまで、このおぞましい感情に乗せられて様々な事をやったが、今となってやってよかったと思うものは何一つない。しいて言うなら、女の口説き方が身に染み付いたくらいだ。ただ、俺にとって話す事というのは、承認欲求を満たしてくれる上に自分の職業柄合っていることでこうなると”天職”と呼べるようになるのである。
まあ、なんだかんだ御託を並べてはみたものの、結局俺は志摩ちゃんに承認されたいのだ。


「まあ、久々に会って、なんか、良かったよ。すごく。」
志摩ちゃんがそう云うと、彼女のその相変わらずの真夏の牢獄の一滴のビールのような清々しさに俺は潤いを感じているのだった。周りはくだらない会話で窒息しそうなカフェ、休日の昼。そこで、志摩ちゃんが俺の為に作り出してくれる一人で喋り続けられる密室は、クーラーのきいた俺の部屋にも存在しないオアシスだ。

そのあとは志摩ちゃんとバイバイしたのだが、バイバイの時に彼女から仕向けてきたハイタッチのせいで、逆車線の電車に乗ろうとしてしまったのは間違いでもなんでもなく、その日の恋の仕業なのだ。






2012年6月17日日曜日

ヨッちゃんの好奇心

久々に会ったヨッちゃんは、女になっていた。
女というより、おかまという表現を使ったほうが正しいのだろうか、まあつまりはそういうことだ。バンコクあたりではレディボーイという名で、おかまが沢山いるのだという。
「あら、お久しぶりじゃない、コーちゃん。」
六本木の路地で突然名前を呼ばれたて振り返ると、おかまが手を振っていた。
「やだ、ごめんなさいね、私よ、私。吉野祥平。小学校で一緒でしょ??」
と言われてはじめて気が付いた。そのおかまはよく見れば確かに、六年二組で後ろの席だったヨッちゃんだったのだ。よく二人でいたずらをしては怒られていた、そのヨッちゃんだったのだ。


「いたずらはもうしないわよ、かわいい男の子にはいたずらしちゃうけどね、ふふっ。」
ヨッちゃんはアイスティーをストローから吸っていた。その仕草はなんだか妙に女らしくて、俺はかあっと顔が熱くなるのを感じてお冷やをぐっと飲み干した。
「そういえば、雑誌の仕事をやってるって聞いたけど。」
「あれはもうやめたわ、なんか飽きちゃって。今はセレクトショップのカリスマ店員よ。」
「っていうと、服屋さん?」
「やめてよそんな古臭い言い方、アパレルよ、ア・パ・レ・ル。わたし、今流行の最先端なの。」
「ああ、ヨッちゃん昔から飽きっぽかったもんな。」
ヨッちゃんはいつも新しいものを追い求めた。ビックリマンを最初に持っていたのはヨッちゃんで、皆がビックリマンを持ち始めた瞬間に遊戯王をちらつかせていた。そして皆が遊戯王を持ち始めた瞬間に、デュエルマスターズへと身変えしたのだった。その都度ヨッちゃんは

「だって、飽きちゃった。」
といってしれっとしているのだった。

ヨッちゃんは可愛いらしい顔付きで女の子にもモテるタイプだ(だった?)ろうから、もしかしたら女にも飽きちゃったのかもしれない。
「でね、取っちゃおうと思ってるのよ。」
「え、何を?」
「何って、決まってるじゃない、アソコよ。」
なんだかこの会話を早々にやめたくなってきて、用事があると嘘をついて帰った。家までの道で、俺はヨッちゃんとの小学校時代の数々の思い出を思い出していた。

「校門前のあのけやきの木を切ろう。」
ヨッちゃんはいつも突然作戦を思いついた。けやきの木は、のこぎりを二つ用意して朝のうちに汗を滝のように流しながら大木を切り倒した。一番壮絶だったいたずらは、池埋めだった。先に池から二匹の亀を水槽に救出しておいて、土や泥は深夜猫車で工事現場からひたすら運び込んだ。そして警備員が起きるまでのうちに池に土砂を流し込み、その上に水槽に花を生けておいた。次の日学校は休校になったが、俺たちの仕業と判明することはなかった。今、ヨッちゃんは自分の体に最大のいたずらをしようとしている。校門ならぬ、肛門の前にそびえ立つ大木を切り取ってしまおうとしているのだ。その日の俺はもう、全てを忘れたくてバーボンを一本空けてへべれけになったまま眠ったのだった。

それから半年後、ヨッちゃんにもう一度会った。ヨッちゃんは男に戻っていた。手術はしなかったらしい。それからヨッちゃんは初めての男とのセックス、女とのレズ(?)プレイについて語り出してまた嫌な汗が俺の体を包んだが、今度は安心して話を聞いていられた。それはきっとヨッちゃんの話し方が、小学生の頃のヨッちゃんに戻っていたからだろう。しかし何より俺が安心したのは、ヨッちゃんに男に戻った理由を聞いたときに帰ってきたこの言葉だろう。



「だって、飽きちゃった。」

好奇心旺盛なのも困ったものだ。



2012年6月8日金曜日

同棲している。デブの弟もいる。
デブはゲームばっかりしている
ちーちゃんの父親が社長らしき人。命を狙われているみたい。ビルの窓から飛び降りる。えぐい。
思わず抱きしめる。

テーゼでアルバイト ガエイにものを教えてると、昔のアルバイト、金髪でメガネをかけた美人。
「お願いします」
「ん?」
「いやおめーじゃねえよ呼んでねえし」
「あんた本当最悪だよねー」
「な、仲悪いんですね。」
何故中がわるかったのか?わからない
トルソーがきている服を見て
「わあっ素敵なライン!」
とかいっている。
俺が「オブジェですか?」とかいうけど無視される。
「ああ、服か。」
上がりの時間。小河さんに呼ばれるとどうも伝票に誤りがある。
ガエイを注意。
そういえば石黒賢みたいなサラリーマンがさっきからメニュー制覇しようとして頑張っている。
ビールの銘柄をきかれる。そんなビールはない。

銭湯にいく。大きな風呂桶が8200円ってどういうこっちゃ。そういえば親父といった。

近所に住んでる女の子姉妹はちょこちょこ男の子を変える。
ついぞ最近までイケメンと付き合っていたが、旅行鞄を持っているのを近所で見かける。
どうやら旅行の帰りらしく、金髪のロングモヒカンをうしろになでつけた不細工と
「旅行楽しかったねー、またいこうねー、」
と話している。彼女はあまり乗り気でない
ばいばいをしたあとその彼氏は
「あ!」
とかいってかけよりキスをする。ばいばいじゃあねーと走り去っていく。気持ち悪い。
女の子は俺を見ながら
「なんか文句あるの?」と言いたげである。
(そうだ、現実だとそうあの子はテーゼで一番可愛いあの子だ。)


伝次郎先生の生物化学 野菜、サラダ編
最初はテレビで見ていた。よくわからないスライムみたいなものができた。
親が「となりで授業やってるからいってこい」という。いく。ドアを開けるとスライムまみれになる。
小学生が多い。グループわけになると大学生ばっかだった。そういえばG組の生徒がけっこういた。
女の子姉妹もいた。どうやら日大らしい。この授業はインカレなのか。









図書館、豆粒ほどの虫と話す。
「つまりだ、お前の栄養を少しずつ俺にわけてくれればいいんだ。そうすれば俺はおおきくなれる。
俺は底が深いからな。」
目を見ていると底がない。気が狂いそうだ。いつの間にか俺が豆粒ほどで、虫は大きくなっていた。してやられた。





純一が裸足の理由

もう歩き続けて一週間が経つ、俺はいつまでこうして歩き続けていればいいのだろう、不思議と腹も減らずのども渇かないのだが、いったい俺は何故こうしてこの大草原を歩き続けているのか、そもそもどうやってここに迷い込んで来たのか検討も付かずにいた、と頭の中で解説を考えはじめたとき、草原が終わり川辺に出た。子供達が何やら石を積んでいるが、それを如何にも”私は渋谷で毎日を暮らしています”という風な若者達が崩して回っている。ああ非行少年、君たちは何故弱いもの苛めしか出来ないのだ。どうせやるならでかいこと、チームを率いて要人殺害とか、薬の売り買い、集団レイプ、そういったことをやればいいのではないか。近頃の若者は元気が無さ過ぎる。子供いじめなんてちっぽけなことで自分の悪さを再確認するなど愚の骨頂だ。目を合わせないようにその横をそそくさと通り過ぎる。川にはなにやら光を放つ魚が見える。鯉である。鯉であるのだが、紫や緑、黄色などの輝きを放っていて恐ろしく美しい。その美しい光景の真ん中に水面にうつった自分の顔が邪魔をしている。と、その額の真ん中になにやら穴があいているのを見て、やっと俺はすべてを思い出す事が出来た。そうだ、俺は死んだのだった。天皇を殺そうとして逆に、撃ち殺されて。つまりここは三途の川の橋の途中、先ほど石積みをしていた子供達も死人、それを壊していたのはつまり鬼である。それを考えた瞬間サーッと青ざめた。もし今俺の死体が下の世界にまだ存在しているとしたら、俺の顔は真っ青になっていることだろう。長年の謎が解けた。ああ、こんな世の中だったらもっと、女とか、酒とか、やっておけばよかったものが沢山ある。政治なんてものに興味を持ち学生運動のリーダーとして毎夜々々拳を振り上げ演説するならその口を女のひとりふたり口説くのにまわせば良かったのだ。俺は死んでいるのに死にたくなって川に身投げをした。それでこのザマなんだよ、ありとあらゆる女にもてたくてね。靴は揃えてきたかって?もちろん。だから、靴を履くときもくつしたは履いていないだろ?

2012年5月12日土曜日

金色のキャデラックと銀鋏

大したこだわりも持っていないが、髪の毛を切るときはヒロコに切ってもらうことにしている。APROは表参道にある有名な美容室で、そこに彼女の就職が決まった時俺は何故か誇らしい気持ちになったものだった。金がないので店には行けないが、俺は彼女の家に出向いて、バーテンダーという職業柄得意である夕飯、何杯かのカクテルを作ることで髪を切ってもらう対価を支払っていた。思えばヒロコは知り合った時から綺麗な髪をしていた。それでいて、引っ込み思案というかシャイというか、不格好な癖にぺらぺらと喋る俺とは正反対のタイプで、”内気”という俺がいくら望んでも取り戻す事が出来ないそれを持っている彼女が羨ましかった。

2012年3月30日金曜日

俺達は陽の光に厭われて

「だから、占いとか商売なんて、そんな事は抜きにしてあなたの血を飲んでみたいの、私たちの生まれ持つ欲望のままに。それがどんなに不健康で、ドロドロで美味しくないものだとしてもね。」

サリーはそう云うとグラスの中の”ブラッディ・メアリー”を一気に飲み干して、うっとりとした眼で俺の首筋を眺めた。

「しかし、君のその性癖は、”生まれ持つ”っていうような先天的なものじゃないだろ?それはア・ポスト。。なんちゃらだよ」

「ア・ポステリオリね、確かにそうよ、ヴァンパイアは誰もは昔人間で、もともといたヴァンパイアに血を吸われ、さらにそのヴァンパイアの血をわけ与えられることによってヴァンパイアになる、後天的なものよ。でもね」
サリーが前髪をかき分けると青白く、そして若々しく美しい顔が俺の眼に飛び込んできた。

「これでもずいぶん長く生きてきたから、人間だったころなんて忘れてきちゃった。たった18年の人間時代の後、120年ヴァンパイアなんだから、もう生まれもってる体質みたいに思えてきちゃうの。だから私は、ア・プリオリ、よ。」

「めちゃくちゃな論理だ。」


吸血鬼が増えだしたのはここ100年の間である、と、俺の小学校の教科書には書いてあった。
50人の学級だとしてそのうちの5人から6人はサキュバス、ヴァンパイア、種は違えど吸血鬼であって、性の衝動、つまり吸血鬼たちにとっては”吸血”欲が芽生える思春期の頃になると、吸血鬼と人間で教室を分けて保健の授業を行っていた。今は亡くなった親父が云っていたが、親父が三十歳のころに段々と吸血鬼関連の性風俗が増え始め、今となっては血を”吸いたい”吸血鬼の女性と、”吸われたい”男達で繁華街は毎夜賑わいを見せている。
正直昼の雑誌の仕事をしていた頃には吸血鬼の女がいる店、というコンセプトに少しも気を引かれなかった。
ところが、毎日々の繰り返しでノイローゼ状態になり、会社を辞めてバーテンダーへと成りかわってから、常連のチヨさんに”同業者なのだから一度行ってみて損はない”と連れられて32歳で初めてここ吸血鬼バーpori≠doli”ポリ、ドリ”に出会ったのだった。
ポリドリは朗らかなバーテンダーとちょっと変わった女達がウリで、店の看板には
”血も涙もあります”
と書いてある。
サリーと出会ったのはその日だ。彼女はポリドリの売れっ子バーテンで、血を吸ってその人の悩み事等を当てて見せる”占い吸血女”として人気なのであった。チヨさんが俺の事を指して
「こいつ、ヴァンパイア初めてらしいよ、吸ってあげて。」
というとチヨさんはもう他の吸血鬼の女の子たちのところへ行ってしまった。みんなでハイタッチしている。
あの人は音楽雑誌の編集長で、その職業的に例外無くロックと洒落と、あと酒と、女が大好きである。
チヨさんはバーに来て新人の俺を見るや否や

「カクテル作れっ!」
と怒鳴ってきた。どんなのがよろしいですか?と聞くと
「あほっ、そんなん聞くなっ!」
と怒鳴る。先輩のバーテンダーが、チヨさん、まだこいつこの仕事始めて二週間なんですよ、とフォローするが、結局チヨさんは俺に作らせるといって聞かず、最終的にチヨさんが俺にヒントを与えるというところまで先輩が助け舟を出してくれたのであった。

「そしたら、カクテルの名前は、ロックンロール!!」

非常に曖昧であるが、なんとなく目星は付けた。

「俺は、俺の頼んだもの以外には金は払わへんからなっ!」

という後付が非常に俺を焦燥に陥れたが、最終的に、ミストスタイルで、バーボンにシュガーシロップを少し加え、少量のミントと混ぜ合わせたものを作ったところチヨさんの評価は上々、65点であった。
チヨさんが確実に俺の客になったのは、その3週間後で、深夜3時頃へべれけになって店にやってきたチヨさんは、ひどく消沈しており、今にも死にそうな目をしていた。

「おい、何か幸せになれるようなカクテルを作ってくれ。」
と、ぼそっと呟いたままじっと机の上を見ている。先輩に任せようと思ったが、今日は月曜日、普段お客さんが入るような日ではなく、俺とアルバイトの女の子の二人で店を回していた。
一瞬、裏のほうに逃げ込みバイトの女の子に

「やばい、幸せになれるカクテルってなにがある?」

と質問したが、そこはやはり女性で、シャンパンと言い出したので話にならず、もう戻らないとチヨさんが怒り出すという時に

「これだ!」
と思い立ち急いでカウンターでカクテルを作った。

「チヨさん、元気無いですけど、僕の全身全霊を込めて”元気が出るカクテル”作りましたよ。いつものように何が入ってるか当てて、採点して下さい。」

チヨさんはそうっとグラスに口を付けると、みるみるうちに怪訝な顔になり、苦い顔になり、そして満面の笑みへと変わり、それはもう店の裏にまで聞こえるような声で

「あほかぁっ!こんなもんが飲めるかっ!」

と大声を出したもんだからバイトの女の子はびっくりして裏から出てきたが、そこには満開の笑顔のチヨさんと俺である。

「して、このカクテルは何点ですかっ!」
「100点に決まってるやないかっ!なんでもええからはよ別の出さんかいっこらっ!」

チヨさんは以後、この”元気が出るカクテル”を、ウォッカにポン酢醤油を垂らしたものだが、二度と頼む事は無かった。
チヨさんは元気になったのだ。そして、店の常連から、俺の常連になったのだった。



サリーは、それが決まり文句なのか

「私、血を吸うのじゃないのよ、記憶を吸うの。」

と自慢気な顔で笑った。

「どうやって家に帰ったかわからない日があるから、そこの記憶をおくれよ。」
「いじわるね、嫌いじゃないわ。」

サリーは手首に口をそっと近付け、俺の皮膚の中の血管を探すように歯を添わせる。ちくり、とした腕を痛みがゆっくりと這い上がっていく。絶頂に近い感覚が頭を襲い、ああ、これが女の”いく”か、と快楽に浸っていたところをサリーの嘔吐きが邪魔した。

「うえっ、どんだけ酒に溺れてるのよ、血がドロッドロもいいとこ、とんでもない呑ん兵衛ね。」
「その点に関して言えば、占いは合ってるよ。」
「占いじゃないわよ、これは。」

彼女は俺を少し睨みつけると俺の血を口の中で転がしながら味を見ていた。

「ソムリエみたいだね、そうしてると。」
「あら、いいこと云うのね、私、独立したら作るつもりなのよ、そういうソムリエ協会みたいなやつ。」

ワインみたいに保存もきかないし、人によって、血液型によって、味が変わったりするのだろうか、なんてことを聞こうかと思ったが心の中に留めておいた。

「今馬鹿にしてるでしょ、わかるのよ、この、あなたの一部で。」
サリーは少し舌を出して笑った。八重歯についた赤が淀んでいる。確かに俺の血液状態は良くないらしい。

「あとは、人に嫌われるのが怖いからって自分から嫌われに走るタイプね。仕事の”机”を挟んでしか人と接することが出来ないんじゃない?」

その日から、俺はポリドリの客に、サリーの客になった。


「で、もし君の意のままに、血を吸わせてあげたとしよう。そうしたら、君は俺を吸血鬼にしてくれるかい?」

煙草のけむりでサリーの肌はより白くぼやけて見えたが、それでもしっかりとした眼や鼻だちがそれを美しく魅せた。
それは駄目、とサリーは首を振った

「私は今あなたに恋をしているのよ、あなたの血で溺れたいほどにね。でもそれは、私がヴァンパイアで、あなたが人間だからなの。あなたの外見も内面も全て、自分が人間であるという状態に感じている劣等感が形作っているものなの。それが私を興奮させるの。あなたがヴァンパイアになってしまったら、私たちはただの友達になるわ。そして、今まで通りでなくなったあなたは血を求めて人間の女性に恋をする。もしそうなったら、そのひとを、あなたの言い方でいうと”吸血鬼”にしたいとは思わないでしょ?」
「俺たちは友達じゃあ駄目なのか」
「本当に性格が悪いのね。それにヴァンパイアだってそんなにいいものじゃないわ、自分とは違う質のものを人間は忌み嫌うのよ、人間原理主義、なんて言葉がまさか生まれるなんて誰か予想したかしら?結局人間からは嫌われる存在なのよ、それはあなたにとって心地よいひとりぼっちかもしれないけどね。でも私はあなたをそうはさせない。私と生きていけばいいわ。」

俺はマスターに赤ワインを頼んだ。ここのワインはBOOMBOOM、シラー種というブドウを使ったもので、血の味に近しい味がする、らしい。
このワインを作った人、チャールズスミスはどうも昔ロックスターだったらしいがそんな人は知らない。チヨさんに聞いてみよう。

「じゃあ、俺はこれで満足していればいいのかな。」
「そう、私はあなたの血で満足するの。それでいいの、あなたは一生その劣等感と戦い続けて、ぼろぼろになって、それがあなたの人生よ。でも大丈夫、私がそばにいてあげるわ。あなたが幾つになっても、私は奇麗よ。」

俺達の他に客は誰もいなかった。俺達はマスターに隠れて、こっそりとキスをした。
サリーはそのまま俺の首筋に牙をあてた。少し意識が遠のいていく感じ。
明日からの仕事は、毎日絆創膏でこの傷を隠して仕事をしなければならないだろう。それを見てお客さんは何を思うだろう。浅ましいと笑うのだろうか。
吸血鬼を愛した人間にも、吸血鬼に向けられる蔑みが、”人でなし”の侮蔑が与えられるのは当然かもしれない。どちらにしろ俺は陽の光を避けて生きていかなければならなくなった。

今日は十五日。外に出ればきっと月がまんまるで、奇麗に浮かんでいる、いい夜なのだろう。
月が、本当に奇麗だ。

2012年3月17日土曜日

いつも自殺未遂ばかりしている。未遂といっても、自宅で首吊りの途中発見され病院に担ぎ込まれて運悪く助かってしまったとか、いわゆるそういった格好のいいものではなく、自ら首を絞めて三分、途中で頓挫してしまうのであった。思えばいつもいつも中途半端、何かをやり遂げた事など一度もない俺が、しらふのままで自殺なんぞ大層なものを完遂出来る筈もない。まったく、せっかく親がつけてくれた達郎と云う”物事を成し遂げる、達成する”という名前の期待にこたえられず自殺すら遂げられない。変な話だが頭の中では”自殺出来ないままでは親に申し訳が立たない、なんとしてでもこの命だけは絶たねばならぬ”と考えて、今回は酒を浴びるように飲んだ挙句、風邪薬と酒を同時に服用すると”飛”べるというので薬瓶の中の風邪薬をまるまる飲み、ふらふらの状態で首吊りに及んだが酔った勢いで遂行前に祐希に電話してしまい”今すぐ来ないなら死んでやる”等とのたまった挙句息の根の止まる五秒前にかかってきた祐希の電話に出てなんとか思いとどまってしまったのである。
街に出れば誰もが俺を馬鹿にしている。俺はいわゆる”サトラレ”で、周りの奴は俺の心の中が見て取れるらしく、歩けば”心の腐った男が街を歩いている、何様のつもりだ、何様のつもりでその横断歩道の上を歩いているのだ、そこは白線ぞ、お前のような腹黒い男が歩いていい場所ではないのだ”と視線をなげかけてくる。

2012年3月1日木曜日

不埒な肩書き



白ワインを八杯程飲んだところで気がついた。俺は酔っている。顔が特別赤くなっている訳でも無いし、特に足元がふらつく訳でもないが、アルコールが体の中をゆっくりとまわり始めて、意識を保つのが非常に苦痛である。さらにカクテルを幾らか飲むことにしたが、その時にはもう”どうなってもかまわない”という思いでいっぱいで、俺はそのパーティをぶち壊す事にしたのだ。思えばなんとも非情な奴らで、忘れていたものをとってつけたように呼び出し、そして腫れものを見るかのような目で十数人にじろじろと見られたのではどうも生きた心地がしない。話をしていても彼らは穏便平和の世界の住人、あまりにもつまらない。よく”大学生の騒ぎ方は勢いにまかせていてつまらない”という人がいるけれども、大勢で飲んでいて”最近どうしてるの”なんて会話をする方が余計つまらない。おばはんか。井戸端会議のご近所さんか。騒ぎたいように騒いで何が悪い。生きたいように生きて何が悪い。酒を飲む以外に何がある。




「私、こんなこと云ったら変な人って思われるかもしれないんだけど、幽霊はいると思うの。だって見たことある。」

まずいことになったと俺たち三人は顔を見合わせた。間違いない。キチガイだ。元より六本木でクラブに行くような女というのはそもそも変な女ばかりだというのはわかっていたが、この女は、キチガイなんだ。そもそも卓也が悪かった。彼女と別れたから女と遊びたいと言い出して、よりによってそれをクラブに行くなんてことにしやがって。普通に街で適当にナンパでもすればいいのに、なんでわざわざ金を払ってそういういわゆる”集まってる”場所に行くのだろうか。クラブなんてものは、所謂”釣り堀”だ。釣れてナンボ、魚達は釣られる為にそこに集められているし、彼女達は釣られる為にそこに集まっている。釣り堀で釣りなんて、当たり前すぎてスリルがないと俺は思う。どうせなら砂浜、大海原、奇をてらってどぶなんかでザリガニを狙ってみてもいい、素潜りで雲丹が取れることだってあるかもしれない。街でのナンパのほうが絶対に面白いの思うのだけれど。それに、釣り堀なんかに閉じ込められ続けた魚は絶対に不味い。釣られ慣れてる魚もいるかもしれないし、あんなとこにずっといたら病気だって持ってるかもしれない。気も狂ってるかもしれない。そう、まさにこの女のように、。


「だって普通に一人のときおしゃべりもするし、変な事を云うようだけど幽霊とセックスもしてるの。」

ミカ、だっけ?ミカはそういうとバッグの中から煙草を取り出して火をつけた。卓也がこちらにぼそぼそとささやく。
(煙草吸わないって言ってなかったっけ。)
そうだ、彼女は間違いなくそう言っていた、煙草は吸わないと。
(おそらく)
俺も煙草が無いとこの空間をやっていけない。
(彼女は多重人格だ。)

ずっと黙っていた良平が
「千円だ。」
と千円を机に放り投げた。
「俺は5人いると思う。」
多重人格の数で賭けをしようというわけなのだ。俺と卓也は千円を放り投げた。
「3」
「7」
「いくねぇ」
「シャレになんねえよ」
ミカが”なになに、賭けごと?”と入ってきたが、男の勝負ということで黙っておいた。
 
 その後朝まで飲んだところ、考察結果は以下の通りである。まず、”第一の人格”非常に明るいノリのよい人格、卓也が声をかけた時の性格、彼女は自分のことをみーたんと呼ぶので便宜上この第一の人格を”みーたん”と呼ぶことにしよう。彼女は、後述する別の人格が出てきてからも度々俺達の前に姿を見せる時があって、トイレから帰ってくると俺達にいきなり一気をさせることが何度かあった。そして、”第二の人格”クラブから別の店に移ってきた時に、少し落ち着いていて、男の話を聞きたがり、自分の事を名前で”ミカ”と呼ぶ人格、”煙草は吸わない”と俺達に云った人格だ。

2012年1月22日日曜日

通り魔は火曜日にやってくる(She is Damn Blonde)

近頃渋谷原宿を中心とした通り魔殺人事件が頻繁に発生している。被害者はいずれも裏原宿系と呼ばれるファッション雑誌”フルーツ”に街のおしゃれさんとして掲載されたことのある女性で、特に金髪の女性が狙われる傾向にあった。かならず首を切られ、髪の毛をそぎ落とされているのであった。事件が拡大するにつれて原宿から金髪が徐々に減っていき、「原宿は死んだ」と云うものまで出てくる始末であった。俺は既に原宿のおしゃれ世界からは身を引いた人間だったが、どうしてもそれが気になるのは、一緒に暮らしているミカが依然として金髪ファッションを貫いていることだった。ミカはフルーツに”絶滅危惧種の金髪ガール”としてスナップされることが多くなったが、それは俺の心配を余計に強くするだけだった。バイト先である西麻布へ向かう途中、俺は原宿通りをすぎる。その度に俺はミカがいつ通り魔に殺されてしまうかと気が気でならないのだった。 

「そろそろそんな髪色やめたらどうだ、今に殺されちまうぜ。」 
俺がいくら云っても彼女はこう答えるだけだった。 
「あら、あなたが好きだっていうからこうしたのよ。」 

俺はある日見てしまった。バイトへ向かう途中、覆面をかぶって金髪の女性を包丁で襲っている犯人の姿を。その覆面は、俺がハロウィンの仮装で、ウォッチメンのロールシャッハに憧れて作った左右対称の覆面そのものであったのだ。 

ミカは俺に気付いて近付いて来た。彼女はこう云ったのだった。 
「これであなたの好きな金髪の女性は私一人、今後あなたが私を捨てようがどうしようが、金髪の女性は世界に私たった一人よ。」 
俺はミカを強く抱きしめた。それは恐怖からではなく、深い愛情からだった。

2012年1月17日火曜日

男が喧嘩をする理由

いざ原稿を前にすると、話というのは思いつかない。これは小説に限らず、なにかをいちから作っていく人間には大体共感できる現象である。腹が減っていざ街にくり出すも、何を食べたいのかいまいちわからず、三十分程どこの店に入るか迷ってしまうなんていう話もこれに同じものである。
「うーん、かきたいものは沢山あったはずなのに。」
俺が家で机の前で唸っていると、寝ていた拓馬が起きたのか起きていないのか、カキたいタレなら俺もいっぱいいるよとくだらないことを呻いた。
俺はそれを無視して台所に向かい、一杯の水を持って拓馬に声をかけた。
「拓馬さん起きた?」
「起きた起きた、俺血圧が高いからお目覚めは気分がよろしいんや。にしても昨日は飲みすぎたな。」
どうやら俺たちは昨晩飲んだ。あまりにも飲んだ。部屋はぐちゃぐちゃ、床は酒びたし、先ほど行った台所には包丁が刺さっていた。もしやと思って洗面台に向かい鏡を見ると、やはり、顔はカバのように腫れ、くちびるは切れ、血だらけの顔と胸元。ワンルーム9畳しかない俺の部屋でいったい何が起こったのか甚だ疑問に思う。いそいで拓馬のところに戻った。

「おい、拓馬、おい。」
「なんじゃ」
「これやったのお前か?」
拓馬は体ごとこっちを向くと、ギョっとした顔に変わった。

「俺じゃ…ないけど、お前、それ、ひどいな…。」
「お前じゃなかったらやったん誰や。昨日ここに俺ら以外誰かおったか?」
「わからへん、わからへんけどお前、その顔じゃお前一か月ソープ通いや…もてない絶対もてない。」
「俺…この五秒間ずっと黙ってたことがあんねんけどな…」
「なんや」
「お前も一か月ソープ通わなあかんわ。」
「なにっ!」
拓馬はがばりと起きて鏡のもとへ走る。
「うわっ!血まみれのカバや!」
それからきっかり一分間。二人であほのように笑い転げると、示し合わせたように俺たちはもう一度殴り合いを始めた。理由を思い出したからである。たしかに昨日は俺たち以外の人間が、女が二人いた。トモエとリッちゃんだ。俺はトモエが好みで、拓馬はリッちゃんが好みだった。酒も入り、そこにあったルルも混ぜて酒を飲み始め、だいぶん具合がよくなってきて、そういう雰囲気になってきた。ところがトモエは拓馬が好みで、リッちゃんは俺が好みだったらしくそれぞれの好みに従ってアプローチをかけてきた。俺たちは互いに抱える希望をもてあましたままキスに入り、もてあましたまま、愛撫に入ったのだった。問題はここで起きた。いざ挿入というところで、俺たちは自分の好みの女が友人に犯されるという事実に我慢ができなくなり殴りあいを始めたのだ。大の大人二人が怒張した股間をゆらゆらと揺らしながら大真面目に、怒鳴りながら殴り合いをしている絵はしらふであればさぞ面白かったに違いないが、あいにくと皆酔っていたので、おそらく女の子はそれを見て恐ろしくなり二人が力尽きて倒れたところを音を立てないように着替え、逃げ出したのであろう。
 やがて俺達は力尽きて殴り合いをやめた。最初に口を開いたのは拓馬だった。

「俺、今考えてみたんだけどな、女の子あの酔っ払い加減やったら、一回いれてそのあと乱交にもっていったほうが合理的やったんと違うかな…。」

俺たちは五秒黙った。間違いなくそれは五秒だった。そして同時に口を開いて

「あ~!!」

その後俺達はトモエとリッちゃんに謝りのメールを送ったが、その後彼女たちからメールが返ってくることは無かった。

2011年12月16日金曜日

願い事

朝起きたら妖精がいた。曰く、なんでも願い事を一つ叶えてくれると云う、俺は
「みんなが俺のことを愛してくれますように。」
と頼むと、わかったと云って妖精は消えていった。
ベッドから起きて服を着替えると俺はタンスの角に小指をぶつけた。リビングに降りていくと嫁が”会社に遅刻する、はやく行け”と怒鳴り散らし、娘はいつものように挨拶一つせずに学校に出かけて行った。
 会社では上司から叱られ、同僚からはこの前の麻雀の掛け金三千円を払えと催促された。俺は(ああ、俺は幸せだったんだ、そしてこれからもずっと)と思った。何か、他の願い事を頼めばよかったと少し後悔したが、今はこれで十分なようにも思える。